- 作者: 戸部良一,寺本義也,鎌田伸一,杉之尾孝生,村井友秀,野中郁次郎
- 出版社/メーカー: 中央公論社
- 発売日: 1991/08/01
- メディア: 文庫
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インパール作戦は先に作戦の実施どころか手法までもが決定され、その後で攻略目標が決まった。東条首相から作戦実施の適否を質問された際も、既に実施が決まっていたため、適否についての回答とは似て非なる回答がなされた。
作戦実施時にビルマ南岸に敵上陸が会った場合
劣弱な航空戦力で地上作戦に支障はないか
補給の課題
などである。誰でも心配になるだろう。
攻勢防御は敵より高速に動く事が可能な場合に成立する。しかし、航空戦力が劣弱である以上、不可能である。
密林が作戦地域となれば機械力がモノを言うが、これも劣弱である。要は、自軍の長所と短所が分析出来ていなかったのだ。
鵯越戦法になぞらえていたようだが、義経は馬による高速移動が可能だからこの作戦を選んだのだ。義経の子孫達のなんと間抜けだった事だろう。
この章を読むと現代の箱物行政の意思決定とダブって見える。
例えば音楽ホールの例を考える。
たいていの市町村では音楽を振興しなければならない理由の前に建設が決まる。「音楽ホールがあった方が音楽文化が発展する」という本末転倒の理屈を根拠とする。その地域独自の音楽文化が発展する中で、必要とされる練習場や会場が決まるのではないのだ。結果、利用率の低い建物が、日本中の市町村に乱立することになった。
建設が決まっているから、議会も有効な反対討論が出来ない。批判や反対は排除され、効果は検証されない。
むだな箱物が大量に出来た背景は、実は戦争中にすでにあった、日本人の意思決定の習慣だったようだ。