卒業生へ

・・・などと偉そうに語れる言葉を私は持たない。
あるとすれば自分の失敗談くらいだろうか。
独り言気味に、今年社会へ出る人相手に話をすることを想定して書いてみる。
(追憶にしかならないかもしれないけれど)

自分がどうやって20代をしのいだのだろう。
今でも思い出せない。

いわゆる就職氷河期に卒業した。2年ほどニートを経験した後、小さなある団体に就職した。無理解と理不尽がまかり通る世界だった。収入があることを除けばニートの頃と何も変わらなかったと思う。日々、自尊心をすり減らしながら、わずかな理解のある方に慰めていただきながら俯いた日々を送っていた。

このままではいけないと思っていた。
ニートのまま終わることを拒否して就職したのに、就職した先がニートと変わらないのでは本末転倒だ。ただ、貧乏に戻るのは嫌だった。だから辞めることにはためらいがあった。

その職場は自尊心を削いだ。しかし、ニート時代の耐乏生活は、自尊心の下にある人の心を削いでしまった。もう二度といやだと思った。

あの時、何か方法はないか、必死で考えていたように思う。資格を取ったりした事もあった。けれど、決定的なのはそこではなかった。
職場を出て、出来るだけ色々な人と交流を持つようにしたのだ。

最初は仕事での悔しさや、職場ではできない事をプライベートの立場で実現するつもりで始めた。職場で何を言われようが5時以降は俺の自由だ。職場での抑圧から逃れ、思ったことを実現すべく、最大限努力すればいい。
選んだのはまちづくり団体。公的なもの、自発的なもの。様々な団体を掛け持ちした。そのうち終業後の夜は本当に忙しくなった。平日は会議の連続。土日はイベントや行事の連続になった。

そのうちにあることに気づいた。
外の人の評価によって自分の本当の大きさが見えるようになったのだ。
職場で低い評価を受けても、それが的を得ているのかどうかがわかること。このことはとても良かったと思う。
あの冷たく湿った、裏路地を歩くような20代の時期。
自分自身の正しい姿を見ることができたのは今の私の基礎になっている。

30代半ばも過ぎて、こんな私でも責任は重くなる一方になりつつある。そして、当然負けてはいけない相手が出来てきた。
おかげで最近は少々傲慢になっているところがある。

そんな時も、当時からのお付き合いのある方々とお話しをするとすっと力が抜けて、元の自分に戻れる気がする。
あるいは、錯覚かも知れないが。

ただ一つだけ確かなことがある。
へこんでしまえば何も得られなくなり、どんな才能もいかなる勤勉さも、呼吸をする場を失ってしまうのだ。

「勇なくば全てを失う」という言葉がある。

勇気こそが、最も大切だと私は思う。