たぶん間違っているのだろう

この考えは間違っているのだろうか。
たぶん間違っているのだろう。

自分を正面から見つめることから逃げているに過ぎないのだろう。

だが、だとしても、もう止まることはできない。

あるときに、私は自分の生きる目的を決めた。
「コミュニティを再生すること」
目的のためなら手段を選ばずいこう、と思った。


ある日、自分の居場所がいつのまにか無くなっていることに気づいた。そのことに当惑し、途方に暮れていた時期があった。私の時計はすべて止まっていた。長い間、ずっとそうしていた。それはとても長く、重苦しく、気が狂いそうな(実際に狂っていた)、そして屈辱に満ちた日々だった。

だがある時に気がついた。
自分と同じような状況にいる同年代の人たちの存在に気づいた。そしてそのとき、偶然私はわずかながら力を回復していた。
彼らのために、居場所を作ること。彼らが存在しても良い場所、コミュニティを作ること。
そのことをこれからの生きる目標にしよう、と考えた。

それ以来、様々なことをやってきた。うまくいっているものもある。しかし、一定の成果を上げたがつぶれたモノも多い。そして、何事もなすことなく消えていったモノも多い。そのたびに人の信頼を裏切ってきた。普通に暮らしていれば仲良くすべき人を切ることもあった。

すべては必要のため。自分の尊厳を貶めることでもあった。だが、すべては目的達成のため、と自分では思っていた。

そして今もそう思っている。
たとえ、自分を見失うことになっても、と思っている。


おそらく、私が目指しているのは「コミュニティを再生すること」なんかじゃない。
きっと復讐したいのだろう。
社会で孤立するニート、引きこもりの人たちを見ると、強い怒りを感じる。彼らに責任があるとしても、それでも私はこの社会が赦せない。

復讐を決めたときから、本当のことを言えば楽しい事なんて何もなかったのだと思う。
基本的に誰にも理解されない。応用的にも理解されない。ひたすら義務ばかりが横たわる。いくらかなりとも理解してくれていたと思っていた人が、実は全く理解していないどころか、私の敵と同じ人種だと気づいた。目眩がしたが、まあ、そりゃそうだよな、とも思った。


ある人に出会って、ここ1,2年くらい、なんだか楽しいような気がしていた。だが、錯覚だったのかもしれない。私は元いた世界に戻ろうと思う。

30代ニートの無念を晴らしたい。二度と社会復帰できない彼らのために。