1Q84読了

ネタバレ注意。

80年代と言いながら、どこら辺が80年代なのかわからない。80年代ってどういう特徴があったんだっけ?小学校の頃なのでよく覚えていない。70年代や60年代と違うことはわかる。90年代より古い価値観が残っていたはず。でもそれはあまり感じられなかった。

二つのストーリーが絡み合っていく構成。「世界の終わり」「海辺のカフカ」で見せた手法に似ている。ただ、「えっ。そこでつながるの?」という驚きは今回無かった。というより、日常の自然の中の一現象として、自然に、必然的につながっていた。村上春樹は性的な描写が多いことから嫌いな女性も多いが、今回のはなんというか、日常的な中にあることをそのまま書いたような、そんな感じがした。ガールフレンドの描写が特にそんな感じがした。

ふかえりのような不思議ちゃんが好きだった時期もある。でも、私の心はユミヨシさんにあるので浮気はしない。

「天吾くん」が未だに一人の女性しか愛したことがない、という下りにひっかかった。自分にもそういう思いがある。心の奥底に沈めて、上からセメントのふたをした経験がある。それ以降、私は恋愛に関しては「半分でしか生きていない」のかもしれない。彼女を捜し出すことは自分を解放し、生まれ変わっていくために必要なことだったのかもしれない。

「クールな青豆さん」が大好きだ。彼女のような生き方をしたいと思う。結局人は一人なのだから。仲間は多いけれど、本当に心を許せる友人がいるのだろうか。まずいないと思う。でも、それで良いと思う。最後に出口がふさがれていることを確認できれば、それで良いんじゃないのかな。