アジアのことば

アジア系言語を学んでいると、歴史認識をどうしても避けて通れない。歴史学では「中立の歴史」は否定されている。これが正しければ、歴史観が異なるのは当然であり多少は目をつぶって握手しないと和解は永久に来ない。
だが、アジアの惨禍はそれを許容するほど小さくはなかった、ということだろう。その現実の前に、多くの人々が佇んでいるというのが現状だと思う。

そして私もその一人である。

私がなぜ中国語を意識したのか。色々な理由があり、一概には言えない。いつか書いたことがあるが、大学時代に中国からの留学生が多かったことが一つだろう。だが、それだけではない。

今も鮮明に覚えていることがある。

大学1年の頃のことだったと思う。私は埼玉県の郊外都市に住んでいた。駅の近くのパチンコ屋の入口に、ある日大きな張り紙が出された。

中国語で「中国人立ち入り禁止」と書いてあった。

当時、90年代の半ばは中国から来た人のマナーが問題になっていた。マスコミが過剰に騒ぎ立てたせいで、多くの普通に暮らしている中国人が困惑していた。そんな時代だった。
おそらく、そのパチンコ店では何らかのトラブルがあったのかもしれない。しかし、当時の私にはどうしても理解できなかった。そういうことを門前に書いて掲げる店に入りたいと思う日本人。そんな張り紙を店頭に堂々と掲げられる感覚。
同じゼミの中国人留学生に(大学の近所だから当然目にしている)そのことを話してみた。彼は苦笑いとともに「まあ、しょうがないね。」と言っていた。私が感じたのは怒りではなく、恥ずかしさ、後ろめたさだった。学生らしい世間知らずの反応だったかもしれない。だが、今もやっぱり納得できない自分がいる。

私は留学して、何になりたかったのだろう。
世界をまたにかけて大活躍するような商社マンや外交官になろうと思ったことはない。
ただ、私は在住中国人ともっと話してみたいと思っただけだったんだと思う。少しでも力になりたいと思った。単に具体的なビジョンがなかっただけかもしれない。だから卒業後見事にニートになったのだが(笑)。

ただ、中国語を学び始めたのは、そうしたきっかけもあったと思う。

アジアを見舞った惨禍。
中国側から見れば、その大部分は日本が引き起こしたとするだろうし、日本側から見れば、列強に脅かされてやむにやまれず、という言う人もいるだろう。
仮に、お互いにやむを得なかったとしても、大勢の方がなくなった。それも、かなり悲惨な死に方をした。
乗り越えることは容易ではないだろう。

私にできることは、ただ、対話を閉ざさないこと。少しでも友人を作ることくらいしかない。大きな山の小さな石にすぎないけれど。


この問題は避けて通れない。非力な私には解決できないが。とりあえずできること。1、中華思想への理解を深める 2、中国側からみた歴史観とそれが成立した背景を知ること、などかと。