Hungry Spiderの解釈が色々な件について

自分的には一通りの考え方しかなかろうと思っていたら、そうではなかったことに後で気付くことがある。

槙原さんのHungry Spiderの解釈をネットで何気なく見ていたら、いろいろ出ていた。本当に驚いた。
http://www.bokukoko.com/cgi/qa/jj.cgi?action=view&disppage=1&no=7802&oldlogno=&word=
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1313436248

私は「解釈」の必要性すら感じていなかった。世の中にはいろんな価値観があるものだ。
多様な価値観。その背景にあるそれぞれの生活。それぞれの経験や想い。なんだか感心してしまった。


私はこう思っていた。

たとえば、男は既婚者で、赦されない恋をしているとする。
彼女と仮にうまく行ったとしても、ほぼ確実に彼女を傷つけることになる。
だから、彼女への想いを(糸を切って)彼女を放そうと思う。


あるいは、引きこもりのオタク(私のような)の男の話。
誰がどう見ても彼女に相手にされない。
彼女にはふさわしくない自分の想いを、心の中で断ち切る(勇気あるなあ)。

でも、彼女を想っているという事実だけは失いたくないと思う。
だから、いっそ死んでしまえば永遠になるんじゃないかと思う。

そういう男の恋愛の最後がいつも悲劇であるようにこのお話のラストは残酷だ。
彼は自分の想いを断ち切って、彼女を自由にしようと思う。
シラノ・ド・ベルジュラックの物語は美しいが、現実はそうはならない。
彼女は彼の意思を知ることなく彼のことを怖がる。嫌うのですらない。怖がる。

振っている側も結構しんどい。
だが、やっぱり降られた側は人格を否定されてしまうので結構傷つく。
最後はストーカー扱いされたり、汚物扱いされてしまうこともある。
蝶の方は降り切るのに必死だから仕方ない。
(必死になれない蝶の方がむしろ心配だ)

こういうのは結構よくある話なんだろうか。
私は何度も経験しているんだが。
(私だけ?)

話は変わるが・・・
これを書いていて、不倫の恋とキモオタの恋が同じような経過をたどることに気付いた。

確かにどちらも「資格の無い恋」なのだろうけれども同種のものだとは想像もつかなかった。
「八百屋と魚屋が同根だった」と言うくらいちょっと驚きだ。