「夢を見ろ」と言われた

schwartz00002010-04-05

私は音楽を聴く習慣を持たない。
80年代終わりから90年代の歌は、「夢を見る」ことを強要するような歌ばかりだった。

「愛はすばらしい」「夢を見よう」

テレビで流れるほとんどの歌が、同じことを言っていた。
うんざりした。だから、CDプレイヤーを長いこと持っていなかった。

結局「夢を見ろ」と洗脳され続けた今の30代は、大量のニートを出し、ロストジェネレーションとなった。誰か総括した方がいいんじゃないのか、と思う。

夢を見ろの「夢」の定義がそもそも曖昧だったのだ。
夢と欲は異なる。自分の欲求は夢とは言わない。
人は一人で生きているわけではない。社会との擦り合わせの中に、自分の生きる道が見つかる。

仕事とは出会うものであり、やりたい仕事が社会のどこかにあるものではない。
やってみれば面白い仕事というものがある。
自分が好きだと思っていたことが、案外つまらないこともある。
少し違う分野に興味が移ることもある。
そうした心の動きに、正直であるべきだ。

初めて就いた仕事の影響を大きく受けることもある。
その後の転職のベースになる人も多い。
学生のころ好ましいと思っていた価値観が、一生続くわけではない。学生の頃の「生」が、社会人になってからの「生」より思いなんて事は、絶対にない。そう思い込むことは、未来の自分を否定することによって、今の自分を否定することにもなる。


80年代終わりから90年代の歌は、私個人にとってみれば、そういう意味を持った歌はあまり無かったように思う。
好きな人には申し訳ないけど。


では「好きなことを持つこと」は意味が無いのだろうか。
もちろん、そうは思わない。そう言う話ではない。

何かを好きで居続けることで、何かを一つの方向から見続けることができる。
一定の視点に縛られるようにも聞こえるが、それでいいのだと思う。

社会はとらえどころの無い、広がる宇宙のようなものだ。
自分なりの地面を作らなければ、つき合う方法もわからないだろう。

何かを好きでいることで、何かに関心を持つことができる。
何かをおかしいと感じ、怒りを感じることもできる。
何かを楽しいと思ったり、何かを悲しいと思ったりもできる。

何か好きなことと出会うことは、とても大切なことだと思う。
ひょっとしたら、好きなことがそのまま仕事になるかもしれない。
関係なさそうな仕事に就いても、10年くらいするとそれに近い仕事が回ってくることもある。

好きなことを持ち続けるべきだと思う。
安易な就職技術を身につけるよりも、ずっと重要だと私は思う。
それがきっと、その人の人生の始まりになるのだから。