昨日の続き

Wikiオーストリア「2月内乱」の記事を読んだ。

http://ja.wikipedia.org/wiki/2%E6%9C%88%E5%86%85%E4%B9%B1

階級闘争的な様相を示していたのだということであれば、冷静な議論など望むべくもなかっただろう。保守派などは、自由主義社会主義の区別すらロクについていなかったのではないか。反体制派も国家の行く先に定見などなかっただろう。そして暴力と感情論的な論争が戦闘にまで発展した。その隙をついてある海外勢力が浸透し、取り返しのつかないことになってしまった。ナチスである。

世界大恐慌の下、日々悪化する暮らしの中で人はどこまで冷静でいられたのだろうか。そもそも、「冷静でいる」ってどういうことなんだろう。

中国との尖閣諸島問題で、威勢のいい議論をネット上で目にする。日本政府発表しか取材していないマスコミからの情報は断片的だ。さらに断片的な知識をもとに、いい加減な議論が両国で巻き起こっている気がする。

もしかしたら両国民とも、不安なのではないだろうか。
不安を打ち消すためには、大きな声を出すしかない。声高に相手を批判すれば、気がまぎれるからだ。気を紛らわした先に何があるのだろう。

中国がどうだとか、菅政権がどうだとか、正直言ってどっちでもいい。気になるのは日本人がどうとらえているかだ。感情論の暴走の果てに、彼らが色眼鏡をかけて中国を見るようになったとしたら、それはとても悲しいことだ。