「婚活」の話題にについていけない

 若い人の間で人間関係が多様化し、分断されたコミュニティの中で男女の出会いが減ってしまい、相手を見つけるのが難しくなっている、というのが論旨だと思う。だから、結婚したければコミュニティを自分で探さなければいけないというのはわかる。結婚によって階層移動が起こることを考えれば、一生懸命やらなければいけないという理屈もわかる。

 しかし、なんとなく「さもしい」という感覚を私は持ってしまうのだが、いけないのだろうか。
 別に、山田先生の言うことが間違っていると言うわけではない。正しい指摘だと思う。しかし、「婚活」と言う言葉を口に
している人たちは、結局はただの保身なのではないか・・・と思ってしまうのだ。

日本の地域社会は今、様々な問題を抱えている。「福祉」「教育」「産業」・・などなど、ほとんど全ての局面において、社
会構造の変化に適応できていない。

例えば産業を例にとって考えてみる。
衰退する地域の産業を再生するためには技術革新や金融体制の改革が必要だ。
だが、それ以前の問題として、そうしたことを考える担い手となる「コミュニティ」の再編成が必要だと思う。今のような、例えば工業なんとか審議会が各自治体ごとに開かれて、思いつきで通り一遍の政策を適当に考え、税金を使っている現在の方法では再生は不可能であることは自明ではないか。
こうした危機を乗り越えるためには、やる気のある人が集まったコミュニティにそれらを再編する必要がある。
ところが、多くの地方行政は、コミュニティの再編支援は自らの責務であるにもかかわらず、旧態依然としたなんとか協会に依存して仕事をしようとしない。理由は、乱暴に言えば、その方が楽だからである。旧態依然としたなんとか協会の役員たちも、もちろんなにもしようとしない。責任が無いからである。

今、「婚活」をせまられている世代に要求されているのは、こうした既存のコミュニティに異議を唱え、コミュニティの再編を要求し、行動することである。一種の革命が必要なのであり自らの保身を省みる余裕など無いはずだ。

・・・と、いうことを言ってみたりすると「価値観の押し付けだ」と言われてしまう昨今である。そういう物言い自体が仕組まれた上の世代からの支配と搾取からのシステムだと言うことに、今の若者はいい加減気付いたほうが良い。団塊の世代だって戦って上の世代から利権を奪ったではないか。

われわれも奪わなければ、与えられるものではないのに。