- 作者: 横田茂
- 出版社/メーカー: 有斐閣
- 発売日: 2008/06/11
- メディア: 単行本
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読書つづき。
とりあえず、75年危機に至るまでのアメリカの経済状況の説明がされている。以下まとめ。
1.40sから60sまでの財政政策と社会構造
1960s、アメリカ経済は通算すると4.1%、104ヶ月にわたる好況は、20s、30s、50sを上回る好況だった。
原動力は民間の固定資本投資と消費支出だったが、これを促した政府の拡大財政、金融政策の意義が大きい。62年、64年には減税が行われ、企業の新規設備投資の税額控除や個人所得税の累進税率、法人税意率の引き下げを行った。個別消費税の廃止は民間貯蓄と購買力を引き上げる効果を持った。
50sと60s公共政策による民間資本蓄積は
(1) 土木系公共事業と産業政策の連携
(2) 住宅政策による住宅需要創出
(3)農業の合理化による労働移動
の、3つの側面を持つ。
(1)土木系公共事業と産業政策の連携
50sには33.2%だった国防費は60sには連邦政府歳出のうち半分以上が国防費だったが、州際ハイウェイ補助金を急速に膨張させ、北東部、中西部に集中していた在来製造業を大戦中に建設されたハイウェイ沿いに拡散させた。生産拠点を全国に拡大させることは、国内経済規模を拡大することにつながる。連邦政府は国防契約の地域配分を行い、軍需企業、航空宇宙、電子産業が南部と西部の大都市圏に立地し始めた。
(2)住宅政策による住宅需要創出
住宅政策により大都市へ周辺への中産階級の移住を促進したことで、郊外住宅が形成された。都心地区は連邦政府の資金支援を受けた自治体によって商業地区に作りかえられた。
<住宅政策>
・住宅保有者への優遇税制(利子、所得控除)
・都市計画による住宅資産の保全
・住宅融資への保証と保険
(3)労働移動
南部の農業地帯で農業に従事していた黒人たちは、農業の合理化により押し出され40sから60sにかけて北東部に低賃金労働者として移住を始める。60sからはラテンアメリカからの移民がこれに加わった。
以上により、70sの財政危機の前提として、60sには次の3つの現象が成立している。
(1) アメリカ各地に産業集積が成立し、大都市が誕生した。ハイウェイがこれらを結んで、市場を拡大した。
(2) 白人が郊外に移住した。移住のための住宅政策には、自治体の財源が用いられた。
(3) 白人の去った中心市街地に、南部から黒人が移り住んだ。彼らは低賃金工場労働者として生計を立てることになる。
2.1960sの社会構造変化
大都市の近郊に白人が移住し、黒人の多くは都市部に取り残された。人口が集中したことにより貧困問題やインフレーションといった問題が発生した。
製造業の低賃金労働者として大都市周辺に移住した黒人(後にヒスパニックも加わる)の中では、インフラや社会保障制度の整備の遅れから貧困問題が顕在化した。
オートメーション化が進行し工場が郊外に移転したことで、こうした人々は都市の中に取り残された。
(1)インナーシティ
64年から68年にかけて、都市部において暴動が頻発した。
64年ジョンソン大統領はインナーシティ問題について、連邦政府として大掛かりな対策をとった。社会サービス、保健、教育、スラム改良などである。
放送大学大学院の「都市計画論」にスラムクリアランスの話があったが、この時期のことである。
(2)60sインフレーション
急激に進んだ財政膨張とともにインフレーションが起き、「成長のための同盟」を脅かした。
これについて、オコンナーは「管理されたリセッション」として緊縮的財政・金融政策を掲げた。この政策はジョンソン、ニクソン、フォード政権によって69年と74年に採用され、結果として2度の経済危機を引き起こした。70sアメリカ経済は拡大と縮小を繰り返し、スタグフレーションが発生した。建設、不動産方面に公共事業が行われ、過剰な資本を形成した。このことが金融不安を起こし、不況のきっかけを作る。
(3)70sの財政危機
どのような自治体においても、不足する財源は債券発行により補填される。
ニューヨーク市では一般財源保証短期証券が69年からの恐慌で急膨張。(総額69年7億ドル→70年には16億ドル)ニューヨーク市の未償還額が際立って大きく、一般財源収入の22.1%に達し、財政破綻の危機に瀕した。州政府は短期債の会計年度の越えを規制する法律を制定するよう勧告した。