辻正信「ガダルカナル」

ガダルカナル

ガダルカナル

 辻氏は南方戦線を作戦指導した有力参謀の一人。戦争責任の追求とか反省とかは、こういう人たちの言動やモノの考え方を手がかりにすることも重要だと思うのだが「土下座することが反省」ということになっているので、あまり追求されていない。

 戦前の旧満州を描いた安彦良和の「虹色のトロツキー」では悪の黒幕みたいに書かれていた。だが、自ら意図して黒幕になった人はそうは多くない。この人は何がしたかったのか、興味を持って手に取ったところ仰天し、目が点になった。

(1)ミッドウェイを「大ばくち」と言っている。当時もそう思っていたのか。辻氏だけでなく、当の海軍もそう思っていたのであろうか。ばくち・・・って(目が点)

(2) 戦争が始まっていい加減たってから>米豪遮断作戦が検討されている。陸海軍のどっちがやるかで争っている間にミッドウェイで負けてしまって立ち消えになった、とのこと。

(3) 辻氏は南進論派だった。中国大陸から撤兵することを考えていたようだが、カードゲームのように簡単にいくモノなのか。中国人にも怒りというモノがあると思うが。

(4) ダバオの南方戦線の指令部に着任した歳、司令部の参謀長である二見氏が「スタンレー山脈は標高はどのくらいかねえ」「機材をどうやって運ぶのか」などと言っている。現地では道路を造り始めている時の話だ。当の辻氏も「山頂では毛布を用意しなければならないらしい」と言っている。・・・しらなかったのか。対する連合軍はこの時点で飛行場を3つも作り上げつつある。旧日本軍が毛布の要否を考えながら道路を造っているときに。


 たった数ページ読んだだけでこんなことのオンパレードである。現地の兵士が聞いたら怒り狂うだろう。負けて当たり前である。

 ところで、この本を読んでみて私は別のことを考えた。行政や企業組織(軍組織も官僚組織だ)が何かをやるときにも、同様のことは起こりうるのではないか。一説によれば民間企業は優秀だからこういうことは起こらないと言うことだが、それは「神風が吹くから日本は大丈夫」というレベルの妄想と同じである。

 辻氏らはそれでも、選抜された優秀な官僚であった。ところが、地方の官僚などはそうではない。無駄な公共事業が走り出して止められないのは、同じような構造があるからではないか。
 すなわち、作戦指導部である担当部署に現状把握能力が無く、担当者たちにそのための責任感が欠如し、作戦が疎漏であることを見抜けない司令官(理事者、社長ら)がいて、現地から来る情報を吸い上げる機能が存在しない。

 この国は何も変わっていないのではないか。毎年8月15日には総理大臣が「つうせつにはんせい」をしているが、何の反省をしているのだろう。

 社会のあらゆる場面で「あの戦争の時はこうだった、だから失敗した、それならこうやろう」などという言葉は聞いたことがないが、私だけだろうか。大勢死んだ若者は、いったい何だったのだろう。巻き込まれた日本やアジアの人たちは、いったい何だったのだろう。あの世から、さぞかしうらめしく思っておられることだろう。