成果主義の問題点

失われた10年の間に、日本企業は大規模な構造改革を迫られた。そのうちの一つが終身雇用、年功賃金と言ったいわゆる日本的雇用慣行の変更である。そのなかで「成果主義」というものが多くの企業で導入された。
しかし、この方式の問題点が最近指摘され始めた。発生している現象と原因と思われることがネット上に掲出されているのを最近見かける。ここで簡単にまとめておく。

発生している問題の最大のものは、社員のモチベーションをあげるどころか、下げてしまったこと。その結果として企業全体の力が低下したこと。現象として発生したのは「失敗を恐れる社風」「風通しの悪い社内」「長期的視野が持てない」といったところか。総じて言えば、事は人のやる気に関わる最もセンシティブな部分であり、システムだけではどうにもならないことがわかった、ということなのだが。

原因については様々に取りざたされているが、私の理解していることを簡単にまとめておく。

そもそもこの導入が、失われた10年を乗り切るための、社員給与リストラとして行われたという側面がある。そのため「成果主義」は色々な能書きをつけたとしても、結局は賃金にあてる総額予算が減っているため、全体としては賃下げの理由付けとして利用されているという側面がある。賃下げ圧力によって減点法になりがちになる。「プラス評価のみ、マイナス評価はしない」などと理念をうたっても、根本的なところでどうにもならない性質をはらんでいる。結果として、減点法となった「成果主義」によって、社員は失敗を恐れるようになり委縮を招いた、と言うわけだ。
 また、リストラはそもそも、社内にある資源をいかに生かすかという視点が重要であり、以下に削るかでは企業の能力を落としてしまうという。そうした意味でも減点主義は危険なのだ。

 二つ目は、成果主義能力主義ではないことだ。結果主義なのである。つまり、能力形成への努力が評価されにくい性質を持っている。それによって社内OJTなどの力が低下したと言われる。日本の学歴主義や長期雇用慣行は、OJTによってその矛盾を調整してきた。それが、学歴主義などを変更しないまま、OJTの力のみを落とせば、問題が発生するのは当然と言えば当然だ。
能力が長期的な雇用慣行の中で醸成されることへの評価が相対的に低くなると、商品知識が蓄積されないなどの問題が生じる。能力が向上しない社員が頻繁に入れ替わることで、ますますその現象は拡大する。

三つ目は、評価者の問題である。社員のモチベーションを高めるためには、指標の公正さ、透明さに社員の信頼がなければならない。そのために、公正さ、透明さを確保するために指標のようなものを設けるところが多い。
ところが、こうした雇用慣行に慣れていない人は、評価されることだけでなく、することもできない。いくら指標をコントロールしても、評価をし合うことへの信頼感が企業文化としてなければ、社員の中で評価制度そのものが「公正な評価」を得られない。結果無用の不信感を生むことになる。

 四つ目は「チームワーク」と言うものをどう考えるかだ。よく引き合いに出されるのは「4番バッターばかりでは野球はできない」ということだ。評価者である管理職の関心のある能力ばかりが評価されれば、自然とそういう状況になってしまう。また、上司に反抗的な社員の役割の芽を摘み取ることにもなりかねない。社内的には奇抜な挑戦が、業界を震撼させる例はままある話である。そういう挑戦は、「問題社員」が震源地となることがあることをわすれてはいけない。また、敗者復活戦も難しくなる。

もっとも、そもそも論を言えば、この手の企業内人事制度は中堅から大手の従業員の視点で語られる。そうした語り口調の中からは、「収入がなければ支払えない」という原始共産主義ではあたりまえだったことが、あたりまえでなくなっていることが伺える。成果主義をめぐる給与制度などを聞いていて、どこか空疎な感じをどうしても受けてしまう。

結論を言えば、重要なのは「売上を上げられるよう努力すること」なのだ。しかし、難しいのは社長の目が届かないような規模の企業になると業務も複雑になる。考え方次第でどちらもが正義になることもある。そういった場合の調整をどうやって取るかなどは、それはシステムのみではできないことである。

能力を重視する社内風土を作るには、制度や人だけの問題ではない。文化を醸成する必要があり、そのためには思ったよりもより多くの時間がかかるということが、この10年余りでわかってきたことではないか。