とあることで、ふとしたきっかけで思い出した。
高校の頃、普通であることにとても抵抗を感じていた。
「普通」=「人と変わらない」=「無価値」と思っていたのだと思う。奇抜なことを良しとして、それで自分に価値がある人間だと思わせたかったのだと思う。
アイデンティティの揺らぎの時期でもあった。人と同じことをしても意味がないと固く信じて、奇抜なことを繰り返しながら、人と大して変わらない生活を送る人を軽蔑していた。
しかし、後になって、それは誤りであったことに気づいた。
正確には、一定の誤りを含んでいた、と言うべきか。
奇策を弄して自分が高みに登ったような感覚は、ある種の逃げだということだ。地道に正面から努力を続けてきた人たちに、水をあけられるようになって初めて気づいた。
別に個性的であることを否定するわけではない。奇抜なことをすることは、努力をしないこととイコールではないということで、それによって退屈な日常が終わったりする訳では、本質的にはないのだということだ。
しかし、高校時代をもう一度やり直したいとは思わない。
あれはあれで、良かったのだと今は思う。
そう思えるようになるまで、結構時間がかかった。