今日参加する予定の読書会で話してみる予定の内容をメモしておく。
映画での導き手役として登場した青鷺。主人公の日常を切り裂くように登場し、何を考えているかわからない美しさがあった。
しかし、乱暴で陰湿で、狡賢くもあった。確かに自分自身を導くものは必ずしも清く美しいものばかりではない。トリックスターでもあり時には敵かもしれなかった。
味方かどうかわからない鳥に連れられて、人生や物事(どちらも同じような意味だが)の深淵に主人公は踏み込むことになる。けれども、その導き手に助けられることが度々ある。青鷺の羽で作った矢は青鷺を貫く。穴のあいた嘴では飛べないと言う青鷺のために、木を削る主人公。どちらのエピソードも、自分を導くものの姿は自分にしか変えられず、自分しか守ることができないことと被って見えた。私自身のことを振り返ってみれば自分を焼き尽くそうとした時には、敢然と立ち向かわなければならなかった。
大人になってみれば「導き手」のグロテスクさすらもコミカルに思えてくることを、思春期の当時、私は全く気づかなかったことを思い出した。今から思えば「何をそんなに苦しんでいたのだろう」と思う一方、「それは必然だったのではないか」という思いも一方にある。
小説版「君たちはどう生きるか」で上級生に囲まれた友人のために声を上げられなかったコペル君のシーンは、初めて読んだ時には胸を抉られるものがあった。自分自身をどうしても許すことができないコペル君。その自責の念から学校を休み、自分が嫌になってしまう。私自身は決して勇敢な方ではない。何度も卑怯な真似をしてきた。そのことを思い出しては何度も本を閉じて読むことを中断したのを覚えている。
その時コペル君が仮病の病床で母の話してくれた話は、母の若い頃の「後悔」の話だった。階段を登る年配の女性に手助けできなかった小さな出来事に過ぎないが、母はずっとそのことを後悔していた。しかし、その後悔を却ってよかったこととして肯定的に捉え、母の今を作っていることをコペル君は聞く。
後悔は決して美しいものではない。グロテスクで、屈辱的で、羞恥を伴うものだ。映画の青鷺のようなものかもしれない。私自身を振り返ってみれば、私を導いているものはいくつもの「後悔」なのかもしれない。
学生の頃を振り返ってみる。小中学校と勉強が非常にできた私はそれを頼りに自我を形成し、体育の授業での屈辱を乗り越えた。しかし、テストの点を根拠に他人より優れていると思い込もうとして自我を保ったことが災いし、高校に進学して同レベルの人に飲み込まれた時、それは弱さとして露呈した。
当然の成り行きと当然の帰結として私は自分が何者なのかを見失ってしまった。中学まではあれほど勉強していたのに、ある日私は勉強することを止め、学校も休むようになった。
ちょうどその時、この小説を紹介されて手に取った。
「自分はどう生きるべきなのか」ではなく「君たちはどう生きるのか」という幾分挑発的に聞こえる題名に私は見事に引っかかったのだと思う。
高校生は世界の中心は自分ではないことを知る年代だと言われる。
地動説を唱えたコペルニクスから「コペルくん」となづけられる主人公。「客観性を身につける」ことを象徴させるエピソードだと思う。また、粉ミルクの缶詰を通してたくさんの人が関わっていることを知る。誰が作ったものか知らないまま使っている現代。身近なものから今まで気づかなかったことに気づく。
浦川君の家に行った時のエピソードは、最初に読んだ時からずっと印象深く心に残っている。何かを学ぶチャンスを持てなかった人々の存在。その人たちへの寛容さの必要性。
私は私が努力したことによって良い成績を取ったと思っていたが、両親がいて仕事をしていて、どちらも病気でなかった。少なくも高校の途中までは、運が良い方の環境の中にいた。頭では分かっていたが、そのことに改めて気付かされた。
大学にほとんどまぐれで受かってしまったが、自分自身の幸運性に気づかない人々がメインストリームになっていく世の中に漠然と疑問を持った。私は、環境に恵まれなかった人たちのためにどう行動すべきなのだろう。今から思えばできることは沢山あったのに、あの時はいくら考えてもわからなかった。
この本に出会ったあの時からこの問いは、今も私の中にある。
大学2年の時。
中国の人々への差別的な文句を店頭に掲げたパチンコ屋にショックを受けて、ほとんど衝動的に休学と留学を決めた。なぜそんなことをしたのか帰国するまでわからなかったが、社会教育のゼミに出会って自分を見つめ直した時、私は自分が深く怒っていることに気がついた。そして留学で得たことは、多くの人に支えられて1年間の留学期間を無事終えられたことそのものだったことにも気がついた。
大学を卒業して就職に失敗し、全力をかけた公務員試験に失敗して東京のアパートでアルバイトをしながら食い繋いでいた時、将来に絶望して一時正気を失いかけた。それでも正気を保っていられたのは、この問いを常に持ち続けたからだ。
30歳を目の前に、役場への転職に成功した。
国保の7年、徴収部門の4年間で浦川君のような人と大勢出会った。漠然とこの町での私の役割が、観光振興やまちづくりなどではなく、ケースワークや対人支援なのだと気がつくには十分な経験を積むことができた。うまく行った時もあるが、窓口で声の掛け方に失敗し、助けられなかった人たちのことは一生忘れない。強い自責の念が時々込み上げてくることがある。
けれどもおかげで観光政策に傾斜しがちな町の在り方に疑問を持つことができた。
小説の中で、人類の発展に寄与しなければ本当に立派な人とはいえない、というのがナポレオンのエピソードの中で語られている。どんなに努力しても、この街の発展に寄与しなければ意味がないのだ。
こうして私の人生は、私だけのものではなくなった。
この本の存在は大きかったが、そう思いたがっているだけなのかもしれない。
「誰かのために、行動しなければならない」ということをいつも思っている。
このまちでこれまで何が起きてきたのかを知りたい。
小説にある通り、先人たちのことを勉強しきった先にこそ、発見がある。
この街にとって何が必要なのかを、私はこれからも考え続けたいと思う。