「無敵の人」に向き合うということ

「無敵の人」という言葉が作られて久しい。

刑事罰を受けることを恐れる必要がなく、社会への復讐を果たそうとする人たちのことをそう呼ぶらしい。毎年約2万人の自殺者の中で「社会に一矢報いてから死のう」という人が出てきても当然だろう。

家計が厳しかったり、在日外国籍住民やホームレス、困難家庭の中で十分な教育を受けられなかった人たちを、現在の日本人は「どこか自分の見えないところで消えてほしい」と思っている。政治も行政も彼らと正面から向き合うことはない。

少数派の人が声を上げられない社会構造の中で、彼らの中から復讐しようとする人が現れる。その人に向かって「暴力はよくない」「法律に反している」などといくら言っても何の意味も効果もない。安易な自己責任論はもっと意味がない。

西村ひろゆき氏の言うことには必ずしも賛同できない。ただ、最近はYouTubeライブなどで「無敵の人」とよく話をしているのを見かける。この動画の中で西村氏が無敵の人とそろそろ真剣に向き合うべきではないかと言っていることにはとても共感する。

共感はするのだが、すでに遅きに失したようにも思う。あんな事件があっても排除することによって自分の居場所を確保しようとする人はいなくならないし、自己責任論者は自分の正当性を毛ほども疑わないだろう。

行政にもあまり期待できない。例えばこの10年、福祉や教育の最前線を担う地方行政は何をしてきただろうか。福祉に力を入れている感を出すためだけに、ただ灯油券を配って「対応した」と言い張れると考えている者も少なくない。

彼らへの直接的なアプローチに有効な関係部署の人員の充実を図った自治体はどのくらいあるのだろうか。そうした人員を削って箱物やキラキラしたイベントを実施した方が「何かを頑張っている」感を出すことができる。

 

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