特定健診の意義

公衆衛生 (放送大学教材)

公衆衛生 (放送大学教材)

地域保健と言う考え方がある。
地域コミュニティが主体的に取り組む、プライマリケア体制の事と言い換えることができると思う。
この保健体制成立の前提として、コミュニティの構成員間の関係が密であり、ネットワーク型に拡散していないことが条件となる。

現在の我が国においては、市町村保健センターに保健師を配置し、地域の互助組織に深く浸透した活動を行っているのが特徴である。悪い例えとして「同調圧力」良い例えとしては「相互扶助」の力を活用し、保健師のような専門家を配することで地域の構成員の健康を推進するという体制、ということもできる。戦後の高度経済成長期、特に山村部での保健事業で実績を上げてきた。恊働による保健体制がその特徴である。
従って、数値によって各個人の自覚を促そうとする「特定健康診査」の手法は、この事業の本質になじまないような気がする。

我が国の衛生制度は1874年の「医制」(長与専斎)に端を発する。コレラなどの感染症の制圧を目指した。
地域特性を生かそうとする先駆的な取り組みだったが、1879には町村衛生委員を置くなど、体制を整えたが瓦解してしまう。その後、一時警察部の所管となった。

我が国の保健制度は、保健所の存在を無視できない。日本赤十字社が行った妊産婦、乳幼児の巡回看護や訪問保健指導の拠点を「保健所」と称していたこともある(聖路加国際病院、大阪乳幼児保護協会)。
1935年 聖路加病院の「保健所」を「東京市特別衛生区京橋保健館」として移管したものが最初の保健所と言える。1937年には保健所法が制定され保健所が活動を始めた。

戦後、GHQにより10万人に一つの保健所設置が目標とされた。1947年「保健所機能の拡充強化に関する件」覚書により、新保健所法が成立する。衛生警察業務は件が主管する衛生行政に統合された。地方分権の時代を迎え、市町村保健センターとの役割の見直しが図られている。