山に登ること

山に登ることを時々する。と言っても、年に数度、近場の山にちょっとだけ登るだけだ。もっとも、「近場」でも私の住む長野県だと、すぐに2000m級になってしまう。それなりに危険なこともある。

私が山に登る理由はちょっと変わっているかもしれない。写経に近いかもしれない。
登りはじめは山の空気を楽しみ、その日の自分の体力や気力と相談しながら自分自身を確認する作業をする。途中から色々なことを思い出し始める。あんなことを言って悪かったとか、どうしてもっと早く気づかなかったのだろう、とか、自分のことを振り返り始める。時々、鳥の鳴き声や木々のざわめきで我に返り、肥大化していた自分を見つめ直す。
だんだん疲れてくると、もう自分のことしか考えられなくなる。元来、自分は自分のことしか考えられない、身勝手な人間であることに思いあたる。足の筋肉が痛み始め、荷物が肩に食い込み始める。息が上がり始め、空気が薄くなってきたことに気づく。
ガスが出たり、強風の日は嵐がいきすぎるのをじっと耐えて待つような気分で歩く。すれ違うハイカーに挨拶されても、答えられない自分を恥じる余裕もなくなる。人は恥ずかしい生き物だと言うことを思い知る。情けない自分をどこまでも続く上り坂や崖があざ笑う。
そのうちに、何も考えられなくなる。頂上に着くころには、空っぽになる。頂上でしばし呆然として、持ってきた食料を食べて帰途につく。


岳 8 (ビッグコミックス)

岳 8 (ビッグコミックス)

人々が山に登る理由など考えたこともなかった。
みんなそんなに色々考えて登っているものなのだろうか?いつも一人なので、気づきもしなかったが、どうなのだろう。