「負担」と「給付」

 一般には、「医療保険料を負担した見返りとして、医療給付が行われる。」と思われている。

 現在70歳未満は3割、70歳以上は1割で現役並み所得者は3割を負担している。70歳から74歳までについては1割を2割負担に引き上げる事が予定されていたが、自民党選挙対策のために見送りになった。
 多くの国民は、自分が負担しなかった残りの部分を誰が支払っているかなど気にも留めない。「保険料を払っているから保険証がもらえる」という誤解を招く様な表現で徴収を行ってきたツケである。
 言うまでもなく、不足分は保険者、市町村や健康保険組合が支払っている。その支払いの原資は保険料である。自分の病気のために、他の加入者が治療費を払ってくれているのである。

 では、窓口で支払った金、すなわち患者負担分のお金の行く先は一体どこか。医者や看護師の給料になる。多くの医療機関では、人件費が最も高いはずだ。高額な医療機器、薬価などもそれにつづく。時々豪華絢爛たるホテルとも見まごうばかりの病院を建てる馬鹿な自治体などもある。吹き抜けのある病院は、光熱費に患者の払った金を使っている病院である。だが、そういう批判はこれまで行われてこなかった。病院経営の責任もそうだが、そういう体質を容認してきた患者や地域住民もアレだが、批判できないマスコミも無能だった。企業経営者を指弾するドラマは沢山作られているが、病院経営の無能を追求する作品は少数である。社会全体として保険料、保険税の行く先に無関心だったのだ。

 これまで、マスコミは医療事故を医師の責任になすりつけてきた。傲岸不遜な金持ちの医師の鬼の首を取ったように。さぞ、きもちおかっただろう。今も保険料の誤徴収ばかりに目を向けている。
 これまでマスコミは怠慢だったと言わざるを得ない。何か有れば反省し国民に謝罪を求めるような報道をするが、自分たちの愚かさは決して認めない。マスコミが公務員化しているからだろう。こんなやつらに行政を批判して欲しくないものだ。

 彼らの今の報道姿勢は、誰に利し、誰を害しているか明らかである。自らの部数をのばし、金儲けのためには良いが、国民、ないし読者を害しているのだ。テレビも新聞も疑ってみなくては行けない時代になった。