懐かしのヨーロッパ史

もういちど読む山川世界史

もういちど読む山川世界史

魔女狩り」から。魔女の発見は過酷な拷問の結果ではなく、社会不安を個人責任に帰すること。体制側の意図に沿っていたといえる。民族の緊張であったり、民衆の中で活動する説教者が推進した。社会不満のはけ口として利用されていたとも言える。今の日本にもあるな。

オーストリアハプスブルク家の誕生について。神聖ローマ帝国で1556年カール5世が退位。ハプスブルク家はスペインとオーストリアに分かれる。

中世から近世にかけてのヨーロッパ史は、プロテスタントカトリック宗教戦争が軸となっている。日本の世界史の教科書では、これが政治史、文化史と関連付けられて教えられている。伝統的に受験も同じスタンスだと思う。1562〜98年、フランスにおけるユグノー戦争も諸外国干渉を招いた。ユグノーとはカルヴァン派プロテスタント。指導者だったブルボン家アンリ4世が王位を継ぎ終結する。

1568〜1609年オランダ独立戦争カトリック教のスペイン王家はカルヴァン派住民の多いネーデルランドを迫害したため、オラニエ公ウィリアムを中心に反乱がおきた。北部7州が独立を勝ち取り海上貿易で栄え、日本にもやってきた。イギリス・オランダ戦争海上覇権を喪失。

30年戦争。アウグスブルクの宗教和議で両教徒の和解がなされたが、1618年オーストリアの属領べーメンでプロテスタントの反乱がおきると新教派のデンマークスウェーデンが介入。グスタフ・アドルフ王が戦死すると、旧教なのに何故かスウェーデンを支援していたフランスが介入して泥沼化。

30年戦争はウエストファリア条約で終結。条約の意義は諸侯の連合体だった神聖ローマ帝国。諸侯が主権を獲得することで実態を失ったこと。フランスはライン左岸、スウェーデンは北ドイツに領土を獲得。近代的な主権国家成立に一歩前進するが、ドイツは荒廃し社会の停滞は著しかった。