地方崩壊再生の道はあるのか(つづき)

人口わずか1万1千人あまりの夕張「市」。諏訪地方の自治体では下諏訪町の半数、富士見町より3000人少ない人口で、債務残高は諏訪地方では下諏訪を想像すると近いと思われる。下諏訪は連結決算ベースでは県内でも債権残高的には不良自治体として知られるが、夕張はそれよりもひどい状況にあった。

自治体が資金ショート!?>
06年度の8月から9月にかけての利払いの際に資金ショートを起こすことが判明するなど、およそ地方政府とは思えないような名状しがたい状況を呈することとなった。一時的に道がつくった短期融資制度の中で地元金融機関が融資を行い、年度末に道が0.5%の低利で貸し付けることとして一応の解決を見た。
市町村の資金繰りの実態はあまり知られていない。税金をいくらでも取れるのだから、資金ショートなどあり得ないと思い込んでいる人もいる。しかし、実際は特別会計(水道など)から短期借入金により資金を調達している。
夕張はこの資金繰りに不正な手段を使っていたことで短期借入金が利息を生み、負債が急拡大した。年度末に観光公社に金を借りさせ、一般会計に貸し出させる。一般会計は赤字を免れる。3月の年度末を過ぎると「出納閉鎖期間」という行政独自のシステムを利用し(4,5月は古い年度の会計のお金を出し入れできる)一般会計から観光公社へ金を返す。観光公社の事業資金は元に戻り、1年をしのぐことができる、と言うからくりだ。だが、財源手当をしない以上当然のことながら利息はふくらんでいき、収拾が何れつかなくなることは目に見えていたはずだ。どうして止められなかったのかは、夕張の産業史などをひもとかなければ理解できないだろう。いずれにせよ、短期借入金を年度をまたいで利用するのは不正以外の何者でもない。

<恣意的な「法」の下の整理>
法の下の整理を選んだはずの夕張市であったが、法の「運用」については政治状況による恣意的な運用がなされたと同書では結論づけられている。

故中田市長時代、過剰な観光開発により多額の債務を抱えることとなった夕張市。返済の財源として陳情により地方特例交付金の交付を受けながら、一方で不正会計を行いしのいできた。しかし、竹中大臣の登場で国の方針は一転、過去の清算を強要する方向への圧力が強まる。国の方針は、自治体債務を不安視する当時の国民世論を背景にしたものであった。こうした状況を見た銀行は、手のひらを返したように貸し渋りを始める。たとえば、第3セクターへの貸付を行わなくなったため、資金繰りが悪化。故中田氏の後任の後藤市長個人が保証して5000万あまりを借り入れる羽目になった。再生計画策定後、自己破産のリスクを理由に後藤市長は再出馬しなかったあたり、事態の異常さを示していると思う。

しかし、小泉内閣の後継の安部内閣の時期になると、国民世論もマスコミも守旧反動の傾向を示し、小泉改革への批判が行われるようになった。「地方と中央の格差」をマスコミが書きたてることで、これまで地方に対して強い態度に臨んできた国は、次第に妥協色を強めてくる。政府与党の支持率の低下が中央官僚への圧力となったのではないか。夕張も同様であり、周囲の自治体からうらやましがられる様な対応を受け、現在再建中である。

資金を供給するときも、資金を引き上げるときも、再び緩和するときも国の政策に左右される状況となったが、これは国の政策の転換期にあったのだから仕方の無いことかもしれない。

<市民の反応>
日経新聞社がどこまで取材をしたかは不明だ。経済的な事件を追うのは得意とするこの新聞社は、市民の姿を追うのはあまり得意ではないように私は感じている。この本の中ではわがままな市民の姿が強調されている。映画祭の例も挙げられているが、平面的な記述に終始し、市民の姿は見えてこない。
自分たちが中田市長を選び、多額の借金を容認してきたくせに、後藤市長になって国の指導の下で公共サービスのカットをはかったところ、集会で「土下座しろ」とまで叫んでいる。このくだりを読むと夕張市民はなんと醜悪な人たちなのだろう、と思えてしまう。一方で再建を推進している市民もいるはずでありその姿は描かれていない。資金漬けにされてまともな市民はいない、などということはありえない。だが、大きな動きは無いのかもしれないし、あるのかもしれないが同書には触れられていない。