信州大学公開講座歴史学ー金(きん)ー

テーマを金とした講座の第三回目に出席した。

今回の時代はマルコポーロ「東方見聞録」が書かれた鎌倉時代。さぞや金銀の話がたくさん出てくるかと思いきや、、、さっぱりだった。

 

この時代の代表的な文化財の多くには金銀が使われていない。

愛媛県の大山祇(おおみやま)神社に所蔵されている義経と頼朝の鎧は大変華やかだが、金銀が大量に使われているわけではない。

徒然草には過度な贅沢を戒めるかのような著述があるくらいだ。平安時代に中国から帰った最澄空海は仏像仏具などさまざまな価値ある財宝を持ち帰ったが、現代につながる仏教鵜宗派が誕生するこの時代、禅宗などに代表されるように質素なものが多かった。仏教の庶民化がすすんだことが大きな理由のようだ。

 

そもそも貨幣経済がまだ浸透しておらず、鎌倉時代に入ってようやく銭の流通が認められるくらいだった。国内での銭(貨幣)の生産が盛んではなく、輸入銭が一部で流通していた。輸入銭の例では中国東北部に成立した金国が金属貨幣を廃止したことから大量に輸入されたものなどが挙げられる。

 

鎌倉時代の武士は金銭ではなく土地を求めた。そもそもものの流通がまだ盛んでない時代に、遠方と取引をする必要はなく、価値の保存手段である貨幣は必要なかっただろう。 

 

なお、国内で現在金が産出されているのは鹿児島県の菱刈鉱山がほとんど唯一で、佐渡、鴻之舞などが続いている。

 

 

講義の終わりに以下の博物館(金融博物館)の紹介があった。

常陽博物館 常陽銀行の金融博物館 水戸市

貯金箱博物館 尼崎市