「団地と共生」柴園団地自治会事務局長2000日の記録

 

 

 

GWの読書のために買っておいた本だが、結局連休明けに読むことになった。

芝園団地自治会事務局長の岡崎広樹さんの著書。

 

私が町の国際交流協会に加えてもらってすでに20年近くが経とうとしている。その間、いろいろな国際交流イベントを開催もしたし、個別に少なくない外国籍の方の通訳や支援をご協力をいただきながら行ってきた。

芝園団地」はネットニュースなどでよく目にしていた。私が行っている地方の小さな町の活動とは異なり、日本の外国籍住民との最前線と言えると思う。人数、国籍の多様性では桁違いだ。それだけにトラブルも多い。読んでいると読者の私まで閉口するような事件がある。

この本を手に取ったきっかけはTwitterで見かけたからだが、自分の活動の足しになればと思ったこともあった。一読して、非常に考えさせられる事が多々あった。

 

同書の内容は事例が多く、非常にボリュームがあり、ブログでまとめることなどとてもできそうもない。考えさせられた点などを備忘録として一部をメモしておきたい。

 

芝園団地は「UR都市機構」というところが運営している公営団地だ。東京に暮らしていなければあまり耳にしないと思うが、要するに住宅公団みたいなものだと考えて良い。

 

UR都市機構

https://www.ur-net.go.jp/

 

 公営住宅の一部には高齢者と外国人が集住することがある。公営団地は外国人にとって借りやすいからだ。私の外国人の友人たちにも公営団地に住んでいた人が複数いる。同書によれば2017法務省調査では4割が外国人であることを理由に入居を断られたという。仕事柄、公営住宅の住民と関わることがしばしばあるが、在留資格をクリアすれば借りられる公営住宅は日本人の親戚や友人がおらず、保証人を立てられない外国人には強い味方だろうと思う。

 芝園団地は会社の寮として借り上げられている部屋もある。3部屋に3人が住んでいるところもある。母国から家族を呼び寄せるとそのままとはいかず、別の部屋を借りることになる。母国から父母親戚が来ることがある。このことは住民が流動的であることを示しており、いくら契約者にルールを周知しても周知しきれないなどの問題が起きる背景となっている。

 私の中国の友人たちも出産後は母国から父母を呼び寄せ子どもの面倒を見てもらっていた。3ヶ月しか滞在できないので、父方と母方のそれぞれの両親が交代で来るため、4人が交代で滞在していた。

 芝園団地の外国籍住民は中国出身の方が多いという。人口比的にもそうなるのだろう。下諏訪町の外国籍住民も最多が中国人である。

 団地の一角に中国の子ども向けに中国語の教室が開かれているという。主に子供を通わせているとのことだが、帰国後のことを考えれば当然の対策だろう。家族で帰国した友人たちの最初の困難は子どもの母国語が日本語になっていることだ。

 2010年頃、週刊新潮に同団地の住人33パーセントが中国人になったことを揶揄される記事が載った。実際、騒音やごみトラブルが起きていたという。著者はこの団地で何が起きているのかを明らかにするためになんと移住を決意する。移住しただけでなく自治会の役員になり、トラブルの解決に関わる傍ら相互交流、理解のイベントを行っている。同書は次々と起こる摩擦や日本人住民との板挟みになりながらの奮戦記とも言える内容になっている。

 公営住宅のトラブルは話し合いだけでは解決しない。ましてや異文化が関われば尚更だ。外国人の方に問題があるというより、「なぜそれが起きたのか」知らない、あるいは理解しようとしない日本人住民側の問題であることも多かった。

 そんな状況の団地にヘイトグループがやってくるという。この辺りはさすが都会だと思うが、川口市の外れにあり市内から孤立している立地も原因もあるらしい。団地の商店会会場に来て拡声器で中国人住民の中傷が行われた。テーブルなどに中国人を中傷するヘイトが落書きされていたことがあったという。学生の発案で住民たちの手形の模様をつけることで、友好の象徴にしたイベントが紹介されていた。

 主なトラブルには騒音、ゴミの分別、料理の匂いなどがある。著者自身は役員をしていることもあって様々なケースを耳にする。外国人が隣近所に住み始めたことで母国と日本との生活習慣の違いが顕在化しただけと言えるが、元々住んでいた日本人には迷惑を感じるのはやむを得ない、と著者は述べている。

 日本人住民から「役員なんだから外国人にきちんと注意しろ」と要求される場面がしばしば出てくる。地方に住む者としてはそれは役員の仕事なのだろうか?そんなことを役員に要求する日本人住民こそ外国人のようだが、都会ではこれが常識らしい。

 「郷に入れば郷に従え」という言葉を日本人はよく口にする。私も外国籍住民のトラブルに関わったときは、しばしば耳にする。著者はこのことについてある中国人住民から「日本人は「郷」がどんなものか、中国人にちゃんと説明しているか」と問われたことがあるという。

例えば当初URは日本語だけで様々な注意事項を表記していた。前述のように入居時の契約条件は日本語で契約が理解できる者とあるが、家族たちは読めなかったりする。URの清掃人の中には中国人住民と挨拶を交わすようになり、ゴミの分別を教える人もいた。方法が理解できれば分別をするようになる。中国では最近では日本で生活する人のためのガイドブックにゴミ分別の解説があるが、岡崎氏が格闘し始めた頃にはまだ知られていなかったはずだ。本当に苦労されたと思う。

 岡崎氏は注意書きの表示の仕方も工夫をした。多言語で表示しても識字率の問題から字が読めない人もいる。「しないでください」ではなく、「中国ではこうだが、日本ではこう」という表示をした。伝わりやすい表現をすれば、ほとんど伝わる。

 岡崎氏にとっては必然だったのだろうが、役員を中国人住民にお願いに行くところがある。確かに当事者に運営に加わってもらうのは大きな力になると思う。 外国籍住民への自治会入会への勧誘は、外国籍役員による勧誘が効果があったという。声をかけてすんなり加入してくれた人もいた。

 中国人住民が日本人高齢者に話しかけない理由を上手に聞き出している。「日本語の敬語ができないので失礼に当たらないか心配」「何を話せば良いかわからない」ということだ。いかにも中国人らしい理由にとても感心した。きちんと話ができる関係ができれば、このような話を聞けたりもする良い例だろう。

「外国人にサービスをすることが多文化共生ではない」ということを外国出身の友人に言われた事があるが、全くその通りだ。彼らにも運営に関わってもらうのが当然であり、必然なのだろう。

 岡崎氏が関わった国際交流イベントへの参加をベトナム人留学生が喜んでくれたことがあった。日本語学校の教師によれば、バイト先と学校、家の往復だけの生活をするだけの学生には良い経験になるのでは、とのこと。キャンドルナイトのイベントは大学生たちの発案だった。キャンドルにメッセージを書くことで、見知らぬ隣人の想いに触れられる間接交流の仕掛けだった。「火事にならなくて良かった」という筆者の一言で、筆者が何を期待して苦労したのかわかるような気がした。

 イベントで交流を見える化したことは大変優れていると思う。しかし学生との連携を模索するところは、本当に苦労している。せっかく良い関係ができてもボランティア的な特性や学生が卒業などで継続ができなくなってしまう事がある。団地やアパート、あるいは都市部特有とは言えないだろう。外国籍住民はいつかは帰国を考える人が多い。私も深い関係を築いた中国の友人が帰国してしまい、取り組んでいた様々な活動が座礁してしまった事がある。

外国人と日本人が出会ってもうまく行くとは限らない。でも出会わなければ隣近所の人間関係は始まらない。「イベントでトラブルが起きるのは、両者が接近したからこそ起きたこと」と岡崎氏はいう。「火を灯しつづけることが希望を生み出していく」という言葉がとても印象に残った。 

 岡崎氏は住み始める前に団地の夏祭りに参加した際、「心の国境」のようなものがあると感じたという。しかし、実際に住民たちが顔を合わせて言葉を交わす中で、外国人を白い目で見ていた日本人たちの誤解が解けたり安心したりすることで、距離が縮まるのを目にした。おそらく、外国人にとっても同じことだっただろう。

 私の住む地域は芝園団地ほどの問題はないが、しかし相互の理解不足で問題が起きる事がしばしばある。相互理解が進むような場を作ろうと奮闘を続けてきた岡崎氏のように私もなれるだろうか。