アメリカの歴史と文化

アメリカの歴史と文化 (放送大学教材)

アメリカの歴史と文化 (放送大学教材)

第3章 「自由な社会」の光と影 南部奴隷制社会の成立
欧米社会は原材料の調達を大陸で行うようになった。労働力需要は原住民や移民によって当初は賄われていたが、需要増に応えるため安価であると言う理由から黒人奴隷が導入される事となった。

1676年に起きたヴァージニア植民地内陸部植民者ナサニエル・ベーコンの反乱は、先住民の排除を求める請願を端に発した。植民地の権力者は毛皮貿易の必要性から先住民に融和的な政策を取っていたため、内陸部の先住民との摩擦は好ましくなかったため内陸部の植民者とは利害が対立していた。それにより奴隷制プランテーションが支障無く運営されるようにすることを求めた点から、重層的な差別構造を見て取ることができる。

独立したアメリカ合衆国は、自由労働と自営農民の北部と、奴隷制プランテーションの南部の2つの社会経済構造を持った地域を内包する事になる。北部の州では独立戦争で掲げた大義をもとに奴隷制を廃止する州が多かったが、南部はそうではなかった。
合衆国憲法の条文には奴隷制度の文言は無いが、人口統計などに「人口はインディアンを除き、その他の人口の3/5とする」とした奇妙な条文がある。
当時の南部は交通網、通信手段などが未発達であった。奴隷を所有する世帯は全世帯の1/3であり、50人以上の奴隷所有者は全体の3%にすぎなかった。南北戦争前の時代には、奴隷州の人口のうち32%400万人が黒人奴隷であった。
黒人達は従順な存在ではなかった。逃亡、意図的なサボタージュ、仮病、流用、読み書きを学んでの情報収集などが行われていた事が明らかになっている。
ラップミュージックの発祥は、世代間の情報伝達が口承によらざるを得なかったことが背景にある。例えば「ダズンズ」と呼ばれる洒落て気のきいた表現を用いながらも相手を痛烈な皮肉や揶揄で喋り倒すことを競うものが行われていたが 
奴隷主の影響からキリスト教が広まったが、抑圧の中で生きた彼らに取っての「主」「天国」は別の意味を持っていたと思われる。アフリカ生まれの世代はイスラム教に帰依していたことは、20世紀にはいってのイスラム教の広まりに影響を与えている。
労働歌に通じるブルース、宗教歌のニグロ・スピリチュアル、その他ラグタイム、ゴスペル、ジャズ、ファンク、リズム&ブルース、ソウルなどが誕生した。
「黒人英語」は標準的な英語とは異なるなりたちをしている。アフリカ西部で捕らえられた彼らは、大西洋を渡る船ではコミュニケーションをとるために様々な言語が用いられた。奴隷商人の使う英語、オランダ語スペイン語ポルトガル語などが主である。その後、奴隷主の英語を用いるようになるが、様々な言葉が産まれた。
エボニックス(ebonics) という名が付けられているが、語源をebonyとし、黒檀=黒の意味である。嘲笑の的となった黒人英語は、彼らと接する白人の子ども達や女性達を通じて広まり、独特の「南部なまり」となった。「OK」などは黒人英語が語源である。

「アフリカン・ディアスポラ」とは、奴隷貿易の結果西阪急へアフリカの人々が離散した事をいう。その結果、南北アメリカで文化の混沌を生み出した。ディアスポラを経験した人々が苦しみと喜びを通じて作り出した新しい文化は、差別や抑圧との戦いの結果である。