90年代の半ば、私は夏休みを利用して中国の東北部を旅行していた。東北部のある地方都市でタクシーを利用したことの話。その日、少々疲れていた私は珍しくタクシーを利用してホテルに帰ろうとしていた。
中国では手を挙げてタクシーを掴まえる。これは日本とは変わらない。しかし、良く選んで停めないととんでもないことになる。当時はぼったくりタクシーが時々いた。メーターを動かさずに料金を要求したりする手口が多かった。アジアの都市では当時よく見られたし、別に中国の専売特許では無い。その程度なら別に驚きもしないのだが・・・そのタクシーは格別だった。

その日、私の前に止まったのはかなり年代モノのフォルクスワーゲンだった。いったいいつの車だ?という感想は盛大な音を立ててブレーキにかき消された。タクシーは私よりだいぶはなれたところに止まった。ブレーキが利かないのかな・・・。嫌な予感がしたが、中国には車検なんてたいしてなかったので、整備不良車はめずらしくない。

この程度でびびってはいけないと思い、乗ることにした。

「何々飯店(ホテルのこと。食堂ではない。)まで」
「あ?ああ・・・・。どこにあるんだ?その飯店?」
(おいおい。運転手に道を聞かれてしまったよ)

当時、地方からの出稼ぎ者が運転手をやっている事が多く、時々道を知らないタクシー運転手がいた。私の泊まったホテルはそれほど大きくは無いが、ホテル自体の少ない街だったので知らないというのは結構変だ。

まあ、最近運転手になったのかもしれないな、と思い直し、
「うーん、私が案内するから、言うように走ってください。」
「わかった」
とってもぎこちない運転にはらはらしながら、助手席から「そこ曲がって」とか案内する。案内料金を取ろうかと思ったが、止めておいた。第一、日本人はケチだと思われたら国の名折れだ。

「最近運転手になったんですか?」
「そう、でも運転には自信があるから大丈夫だよ。留学生?」
「そうです。」
「日本人?中国語が出来るんだね」
「留学生ですから(笑)」
「ああ、そうか」など会話をしていて、足元に妙な違和感を覚えた。
風通しがとっても良いのだ。

・・・・。

嫌な予感がして足元を見ると、足元の風景が動いている。

・・・・!床に穴が開いているような気がする。ような気がする、というより、あいている。間違い無い。
「すみません。あの、地面が見えるけど」と恐る恐る聞いてみると
「ああ、見えるよ。だいじょーぶ。問題ない。」・・・問題ないらしい。

うーん。。。。問題ないのか?

確かに動いてはいる。ぼったくられたりもしなさそうだ。
そうこうしているうちに無事にホテルについたため、この話題は打ち切ることにした。
時々中国にいると、何が問題なのかわからなくなる。


ちなみに上海市内は最近地下鉄(中国語:地鉄が走っているそうである。しかし、90年代半ばにはまだ建設が始まったばかりであり、留学生の交通手段は自転車かバスかタクシーであった。
上海は中国一の都会であった。したがって、タクシーは結構充実していた。初乗りは2km。1元=約12円として、ダイハツシャレード」型が当時14元。中国名は「夏利(シャーリー)」で天津一汽公司という会社のライセンス生産だったと思う。あと、フォルクスワーゲンサンタナ」型もあった。こちらは16元。乗り心地が少良かったが、貧乏学生としては一生懸命シャレードを探した覚えがある。個人タクシーも結構多かったが、全てのタクシーに共通するのはどれも一様にぼろかった日本の陸運局のおじさんが見たら、仰天するほどぼろかった。でもみんな普通に乗っていた。

最近の中国のタクシーはきれいだそうだ。その話題がテレビに出ると、よく命があったものだとしみじみ当時を思い出す。