中国への留学を決意させた理由に、当時の生活費の安さが挙げられる。およそ日本の十分の一程度だった。
家賃が1日3ドル(二里部屋で風呂トイレ共同)で水道光熱費なし。学費も年間で2000ドルだった。当時のレートで1ドル=100円を切っていたので、いかに割安だったかがわかっていただけると思う。ちなみに、日本の大学は1年で学費が100万くらい取られるのはご存知の通り。友人とさんざん飲み食いしても数百円ですむ。外来品はちょっと高い。チョコレートがキットカットくらいの大きさのもので5元(60円)もした。教科書も安い。当時学校で使い、今も私の持っているテキストは5.7元(約60円)と書かれている。日本の中国語のテキストなどは、薄っぺらな物で1000円もし、当時はまだろくなテキストが無かった。
旅行に行ってもホテルがとても安い。1泊1000円といえば結構高いところだった。
しかし、現在はすでにそうではない。上海で暮らすと日本よりも金のかかる事がある。何故そうなったかと言えば、それは90年代の凄まじいインフレによるものだ。私のいた年にも目が点になることがしばしばあった。来たばかりのころと、帰る頃では、まるで違う国のような印象を受けるほどモノの値段が異なっていた。
例えばミネラルウォーター1.5リットル3元が1年後に5.5元になっていた。上海と言えば上海蟹。私が留学に来る前は500gで数十元だったと言うが、私が帰国する頃には300元位になっていた。庶民にはとても買えないものになってしまったと、先生方がぼやいていたのを覚えている。
生活費も大幅に高騰し、別の物価システムの中に暮らしている外国人に取って「安い」中国であったが、中国人に取ってはたまらない1年であっただろう。当時の中国人の中には、外貨に元を置き換えて自分の資産を守ろうと努力する人もいた。