夏休みが終わる。

長野県の小学生の夏休みは、8月の中旬までである。都会に比べて随分短い。その分は冬休みとしてちゃんとあるのだが、今聞けばとても損をした気分になる。もちろん、あの頃はそんなこと知らなかったから、そういうもんだと思っていた。

 少し前に、「ぼくの夏休み」というゲームがあった。
 色々なイベントが隠されているけれど「一定のフィールドの中で何をしてもいい」というゲームだったと思う。こういうコンセプトは好きだ。作画もそんなに嫌いではない。
 買おうかな、と思ったんだが・・・
 でも、どうしても手を出す気になれないでいる。

 不幸な少年時代を送らずにすんだ。
 両親が高齢だったことと、運動神経的な意味で負け組筆頭だったことを除けば。それでも、友人には恵まれたと思う。俺のクラスはマイナー組同士仲が良かったからだ。今ではすっかり連絡が取れなくなってしまったけど、まあ、きっとどこかで元気にしているだろう。

 こんなに暑い夏の太陽を浴びながら、どうして小学生の子どもがあんなに長い距離を歩けたんだろう(今だったら絶対に嫌だ)。学校のプール開放日は必ず友達と一緒に通った。そうでない日は、体が冷え切るまで何度も川に潜っては、「アカウオ」「ハヤ」をヤスでついた。帰ると母がフライにしてくれた。どれも小物ばかりだったからだ。

 ずっと両親が共働きだったので、いつも一人だった。遊びにいかな日は、涼しい部屋で本を読んだ。結構読んだと思う。書名は全く思い出せない。本当に俺は本を読んでいたのだろうか?少し記憶に自信がない。覚えているのはヒグラシと、アブラ蝉の声。飛んでいくトンボと、絨毯の上にできた日陰の色だけだ。
ひまわりの観察はまじめにやらなかった。ただ、ひまわりが3mを軽く超えて巨大化したので、ちょっとビビったが。

 あんなに時間があったんだから、もう少し勉強しておけばよかったんだろう。もう少しスポーツでもやっていれば、中学で女の子にもてたんじゃないだろうか。。。などなど、色々思わないでもない。

 小学校六年生の最後の夏休みのことはあまりよく覚えていない。
 ただ、こういう夏休みは中学へ行ったらもう二度とないんじゃないかと思ったのをうっすら覚えている。10年後には22歳。いったい自分が何になっているだろう、ちゃんと働けているんだろうか?とか考えたりもした。(予感は的中し、立派にニートになりました)

 ゲームをやる気になれないのは、二度と還らない夏休みを、もう一度過ごしたいとはどうしても思えないからかもしれない。
 もう少し年を食えば、素直に楽しめるのだろうか。

 もちろん宿題は最終日に青くなるまでやらなかった。
 だから今も、仕事は締め切り直前に着手する。上司にいろいろ言われながら、今を何とか生きている。

 それにしても今年は暑いな。