夏の日の夕方に、縁側にて

友がみなわれよりえらく見ゆる日よ
花を買い来て
妻としたしむ

石川啄木「一握の砂」から

どのような状況で作者がこれを詠んだのかは知らない。
残念ながら、そういう教養をもっていない。

20代からやってきた色々なものが行き詰まりつつある。
結構頑張ってきたと自分でも思う。

何が障害なのかわかっている。敵が誰なのかも分かっているし、どう戦うべきなのかも分かっている。ただ、誰のためにそうしなければいけないのか、見失ってしまったのだと思う。

多くの努力は報われることなく、砂塵と化した。
お陰でなすこともなくなり、手持無沙汰な日の夕方。

啄木が妻とどうでもいいことを話しながら、過ごしたいと思ったのだとしたら、その気持ちはよくわかる。

さてさて。私はどうしたものだろうな。