扉が開くとき

どこの高校にもあるように、私の母校にも生徒会のようなものがあった。
その活動に入れあげていたせいで、受験勉強をまともにしていなかった。
おまけに、3年生のときは精神的に非常に参っていた時期で、学校へ行っていない時期があった。(後にそういう状態のことを「不登校のグレーゾーン」と呼ばれることを知った)

そんなわけで、3年の秋冬は出席日数を満たすための補修ラッシュだった。
元々不和だった家の中も、この頃がピークだったと思う。
要は、あのとき、あらゆることに行き詰まり、暗い迷路の中にいたのだとおもう。

当然の帰結として、ひどい状態で大学受験を迎えることになった。
自分が大学に行けないのではないか、という予感すら持っていた。

「まじめに授業を受けて推薦枠」という手もあったのだが、そんなことを考える余裕も無いほど、当時の私は参っていた。
そのくせ、「推薦で教師の世話になるのはイヤだ」という変な反発心もあり、推薦を受けることを潔しとしない思いもあった。今からすれば、無謀というか、馬鹿というか、呆れてものも言えない。

つまり、あの頃の私は、「精神的に追い込まれているにもかかわらず、根拠となる学力も無く、自分についての長期的視野を欠いていた。そういう自分の状態に気づくことすらなかった。」ということだ。


しかし、ある先生がアドバイスをくれた。
その先生を仮にS先生としよう。世界史の先生だった。

S先生のアドバイスはこうだった。
(1)普段の生徒会がらみでの私の発言から問題意識を考えると、専門は「哲学」がいいだろうこと。(もう少し吟味した結果、社会が苦にした)
(2)私の低い学力に鑑みて、大学はT私立大学とすること。(結果、それが私の母校となる。)


しかし、受かるとは到底思えなかった。

現代文と古文だけは自信があった。模試でもかなりいい成績を出していた。高校1,2年は背伸びして難しい文章や論文ばかり読んでいたからだろう。もちろん私の頭では大して理解できていなかったが、無駄ではなかったらしい。
しかし、英語は基礎的な勉強をしていなかったため模試ではいつも危険水域だった。
選択した世界史は、現代史とアジア史はかなりできたが、他は勉強時間の不足でお話にならなかった。
受験大学の出題傾向なんて全く研究していなかった。赤本を買っては見たが、ページをめくる事すらしなかった。

悪いことに、時は団塊Jr.の受験時代。競争率は空前の倍率。
条件も最悪だった。

今も時々考える事がある。もし受からなかったらどうなっていただろう。
とても浪人に耐えられる精神力は、あの頃の私には無かった。
私の人生はかなり大きく後退していただろう。
むしろ、回復不能になった可能性の方が想像しやすい。

ところが、試験会場で。
現代文と古文は難解な文章だったが、私が読んだことのあるものだった。しかも、繰り返し読んだものだった。
英語はかなりきつかった。どう見ても全部できるとは思えなかったので、時間がかかりそうなマークシートの問題を5問あきらめた。回答は鉛筆転がして決めることにした(本当に転がした)。
最後は世界史だった。問題を見た瞬間、私の周りの温度がかわったような感覚に陥った。
得意な「現代史」「アジア史」から出題されていた。そして、S先生が補修で力を入れてくれた「文化史」の問題がいくつもあった。

あのとき、自分の中で何かが音を立てて動き出した気がした。
夢中で世界史の回答欄を埋めたのを覚えている。


帰宅後に自己採点してみて、私は言葉を失った。
現代文満点、古文は1問間違えただけだった。これは予想通り。
世界史は数問間違えただけだった。しかもケアレスミス。信じられなかった。
極めつけは英語だった。鉛筆を転がした5問のうち3問が、すべて正解だった。残りの問題は時間をかけたので、それほど悪い点ではない。

あの時、あの偶然が無ければ、私は今の私ではなかっただろう。

数日後、合格通知を受け取った。
ろくに勉強もしなかった私にふさわしいとは思えなかった。何より、信じられなかった。

翌日、S先生のところにお礼に行った。


S先生は驚いた風も無く、こう仰られた。
「そうか、よかったな。まあ君はきっと、やるだろうと思っていたけどな」

どうしてそう思ったのか、そのとき聞けなかった。S先生が、あまりに当たり前のように言ったからだ。本当にそう思っていた感じがした。
でも、今ならわかる。扉が開くときが、私に来ていたのだ。S先生には、それが見えていたのだろう。

そして、私の扉はそのとき、開いた。

大学はレベルは決して高くないが個性的な大学だった。そこでの出会いは、今も私を支えてくれている。
そしてなにより、専門とした社会学は今も私を導いてくれている。

大学4年間で私は完全に回復しなかったが、あの4年間が貴重な時間を稼いでくれた。
途中、1年休学して留学することもできた。それは、私の原点となっている。

行き詰っていた私は、こうして袋小路から外に出ることができた。



受験シーズンが今年もやってきた。
追い詰められている人たちもたくさんいると思う。
勉強へのプレッシャーだけではないだろう。経済苦であったり、精神的なものであったり、その両方であったり。
想像を絶するような苦難の中にいる人もいるだろう。
準備不足で希望をもてない人もいるかもしれない。


だが、忘れないでほしい。
扉は開く。必ずいつか。

どうか、それを忘れないでほしい。

そして扉の先には・・・・


全ての受験生の成功を祈っています。心から。