高齢者の怒りの本質は?

ここのところ政策立案者の立場に立って考えてきたが、今度は保険加入者の立場で考えてみたい。
そもそもマスコミの主張する「高齢者が怒っている」の中身は、一体なんなのだろう。

(1)天引きについての不満
「承諾を得ないのに勝手に引かれるのは心外」と考えている人がいると思う。立法後の制度である以上、法的には問題ないが、道義的にはそうとられても仕方ないかもしれない。

国民年金は国が勝手にいじって良いものなのか?
それとも将来入ってくる年金は、その人の財産権に含まれるのか?

国はどうやら前者だと思っているようだが、高齢者は後者だと思っているだろう。誰でも収入額を予測して暮らしている以上、これからもらえるであろう収入を減らされれば、自分の財産を侵害されたと思うのではないか。
意外に根深い問題だが、誰も深く追求していない。

(2)「高齢者からお金を取るなんておかしい」
高齢者は収入が増加する可能性が低い。あくまで可能性だが、就業率が低い現状を見れば、そう言わざるを得ないだろう。従って保険料増額は生涯収入が減るのと同義のはずだ。

まじめなお年寄りは、
「もう十分国にも貢献したんだし、勘弁してよ」
という感覚を持っているかもしれないが、そうでない高齢者は「俺の人生の一部を取り上げた」と思っているかもしれない。

(3)誤解から来るケース
「医者にかからないのになんで保険料を払わないといけないのか」など、保険の本質が理解できていないケースがあると考えられる。
この手の不満は後期制度とは別の問題である。

値上げしてでも病人やけが人をみんなで守っていこう、と、政治家が国民に訴えなければならない。今回は理念の転換であり、制度の転換は付随的なものだからだ。政治家でわかっている人はいるのだろうか。

(4)難しすぎる「良く解らない」「だまされている気がする」
高齢者は比較的新しい制度に適応が難しい。後期は専門用語が並びすぎて高齢者に理解しにくい。(但し、あくまで傾向として。私だってよく解らない)また、高齢者になれば身体の衰えとともに猜疑心が深くなる事もある。そうした高齢者の特徴をよく考えずにこの制度は導入されている気がしてならない。後期高齢医療制度を作った人は、あまり高齢者と付き合った事がないのではないか?


(5)システムの不備
長野県の市町村が選択した小さなカードは、見にくいなどのクレームとなった。
複雑な軽減システムを含めて、IT偏重世代の考えた保険なのではないか、と、ふと思った。

後期の必要予算を明確化するだけなら、国保システムを改造するだけで対応できなかったのか?


以上、周囲の高齢者の発言を元に背景を考えてみたが、高齢者の不満の本質を良く考えて報道している例はあまり見受けられない。
きめ細かく取材して理解した上で記事を書いている例が少ない。こういうマスコミにのせられるのは危ないと思うのだが。