日本の社会保険制度の歴史

欧米の社会保険制度は民間の労働者が自己防衛のために相互扶助共済組織を作り、次第に団結していくことで形成された。わ
が国は労働者保護の観点から、国家主導で行われたのが欧米と違う点である。国民生活の保障というよりは、富国強兵政策の
一環であったという評価がされている。

<黎明期>
911年 工場法
目的 生産促進と軍事的見地から労働者の保全を図る
・最低就労年齢、年少者と女子の最長就労時間
・経営者の無過失責任による労働者災害扶助制度創設
1922年 健康保険法、5年後には給付開始するが、問題が・・・
・強制加入の事業所が限定されていた
労働災害が保険事故に認められていた
・労働者保護立法と未分化
世界大恐慌で被保険者の減少と保険料収納率低下で苦境に陥る。

<戦時体制下>
1900s列強の植民地争奪戦は熾烈を極め、わが国も巻き込まれていく。国民、とりわけ農山漁村部の住民を戦力化する必要から、医療制度により補償することが必要と考えられた。

1930s戦時体制でそれまでの労働者保護法の機能を停止
1931労働者災害扶助責任法
労災被災者に工場法と同様の扶助、使用者を保険者として責任を明確化
1938国民健康保険
農山漁村の住民や都市の中小企業者を保険制度に組み込む
労働者立法からは切り離されておらず、過渡期にあった
→労災扶助責任法は、政府管掌の強制保険で、保険者に直接請求が可能だが、扶助と範囲が不十分
国民健康保険組合も任意設立で、不安定不徹底なものだった
職員健康保険法、船員健康保険法などが制定 (「戦力としての国民を保護」と評価)
労働者年金保険法の制定

<戦後〜現代の保険制度へ>
憲法下での社会保険制度が策定される。
1947労働者災害補償保険法、各種共済組合法の制定
1958国民健康保険法全面改定
・市町村、特別区保険業務の実施を「義務」付ける
・国民に健康保険への加入を「義務」付ける→国民が連帯してお互いに共済しあう
1959国民年金法 自営業者、農林水産業従事者、零細企業労働者も加入義務
所得保障制度を整備(年金、保険とも完全実施は1961)

<現在と未来>
制定後拡充を図られてきた社会保障制度は、人口構造、ライフスタイル、産業のグローバル化を背景に根本からの転換を迫ら
れている。現状は国民医療費が32兆円、年金給付額は45兆円で、年々増加の一途をたどっている。