絶対掲載されないけど

村上龍編集長の「JMM」に投稿した。テーマは自治体の破綻の帰責性について。


 私は3年ほど前に民間から中途採用で転職し、現在長野県のある市町村で行政職をやっております。市町村の財政破綻の責任について、諸氏のご高説大変興味深く拝読いたしました。
 これについて考える際には、地方自治体における住民との合意形成の過程や、民間と異なる行政特有のステークホルダーの質について、考えてみる必要があります。
 強権的な首長を抱かない限り、どの自治体でも住民代表などによる審議会や、委員会、検討委員会、議会などによって施策についての合意形成が進められていったはずです。住民の参画ないし恊働の必要性が叫ばれる中、特に、近年はこの傾向が色濃くなっています。
 所詮「民の意志は官僚に骨抜きにされている」と言う意見もありますが、意志を微妙に曲げることなど、官僚にできないことはありませんが、しかし、例えば高コスト体質の元凶であるかのように言われる箱物行政の多くは、官僚レベルではなく、首長と「住民」代表の決断によるものであることが多いように感じます。
 私の勤務先の自治体にある箱物の多くは、住民の意見によって建てることが決められました。命名も住民であり、運営も民間に委託され、行政職員は建設にかかる事務のみを行えば良いはずでした。そうした際にも、首長や職員のみの責任を問えば、それで良いのでしょうか?

 問題点は言うまでもなく、合意形成にかかわった「住民」の正体です。かつては、住民の代表というものが地域社会に存在しました。業界団体や自治会の長などです。地域コミュニティの崩壊とともに、そういった存在は代表性を失っているということを、市町村職員の多くは知っています。従って、公募や専門家への委嘱などの手段をとりますが、質の確保に大きな問題をはらんでいます。

 こうした地方自治体の基礎レベルの議論を抜きにして、安易な箱もの行政批判や業界との癒着などの、勧善懲悪型の報道がなされている限り、自治体の病根を絶つことは出来ないのだと思います。