街角の本屋がなくなることで何が起きるか

先日、Twitterに以下のように投稿した。

 AIが興味のあるものばかりを勧めてくるスマホや動画サイトばかり見ていると、自分に興味のないものや知らない分野の知識に触れる機会がなくなる。 自分が何でも知っているかのように断言するネットトロールはこうやって生まれているのではないか?

 

 投稿した後で考え直してみると、地域社会や人の成長にとって本当にインパクトのあることなのではないかと思う。

 街角から書店が姿を消しつつある。下諏訪町からは完全に書店がなくなり久しい。先日の地域のニュースで塩尻の平安堂が閉店するとのこと。蔦屋書店はすでに書店であることを諦めているかのように思える。

 思春期の頃、何気なく立ち寄り本の背表紙を眺めていた。大人になってからもその習慣は変わらなかった。

 その時私の目に見えていたものは「興味のある本」のほか、「興味のない本」「自分の理解の及ばない分野の本」「いつか勉強してみたい分野の本」「賛成できない意見」などがあった。私自身はたいしてものを勉強できずに人生を終えそうだが、しかしそれでも、少なくもそうした意に反するものがが存在しても「気にしない」自分の在り方を見つけることができた。

 ところが、最近はAIがそうした雑音を排除してしまう。エコーチェンバー効果という言葉がSNSで囁かれるようになった。

 そんな中で育てば、私たち人間はどうなってしまうのだろうか。