政治の自由、選挙の自由

いつも拝読しえている信州戦争資料センターさんの記事には、時々下諏訪町や諏訪地方の話題が取り上げられる。

 

20世紀に入り、長期化する中国大陸での戦争を背景に大正期の比較的自由な人々の暮らしへの締め付けが厳しくなっていく。

大正期の自由な信州教育は格好のターゲットとなり、その反動が後の全国一の満蒙開拓団の犠牲を長野県にもたらすことになるが、それはちょっと別の話。

 

小林多喜二の「蟹工船」が掲載された「戦旗」が発刊禁止処分となったが、それには旧上諏訪町での選挙への干渉、妨害が掲載されている。

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「無産者」などというと、戦後のテロリスト組織をイメージする方が多いと思うが、記事の後半にある「長野県の全国農民組合長野県連合会が、町村議会の選挙に向けてまとめた方針書」を見ると、決しておかしなことは主張されていない。それどころか今では政策化されているものが多い。

「電灯料、肥料の独占価格反対」「養蚕勤労農民の損失の国庫補償」「国庫負担の失業保険」などは、今の私たちの暮らしの中では常識であるが、こんなレベルの主張が当時は行政暴力を持って否定されていた。

 

東京都知事選挙での複数候補の奇行が話題となったが、東京都選挙管理委員会が抑制的な介入のみ行なったことには、これらの戦前の反省がある。

 

なお、現在の公職選挙法では公務員の選挙運動の禁止が定められている。

特に警察行政職員、司法職員、徴税吏員、教育公務員(教員など)にはそれより一段厳しい罰則が設けられて介入を抑止している。

 

10月の突然の選挙で全国の市町村、とりわけ能登などの被災地の自治選挙管理委員会が短期間での準備に対応できず大混乱に陥っている。なぜこのような短期日程になったのか私は意見を述べる権利はないが、背景はすでに報道されている通りである。

政治の選挙への介入を固く禁じてきたのが何故なのか、徐々に忘れられている。

上記記事でもは、小林多喜二の拷問死を虚偽だとする風説をSNSで流す人々が近年現れていることが述べられている。

 

10月、11月と各地で選挙が続くようだが、どのような経緯で自由に票を投じることができるようになったのか改めて振り返ってみるのも良いだろう。