10年前だったら、この歌の意味が分からなかったと思う。

随分回り道もしたが、これまでやってきたことが、良かれ悪しかれ花をつけ始めている。手を抜いてきたこともそれなりに花が咲いてしまう。それでも転がっていこうと思う、そんな歌だと感じた。

今の私には、この歌はなんとなくわかる気がする。錯覚かもしれない。いやまあ、後になってみれば大半は「錯覚」「自意識過剰」なんだろうと思う(だからこんな記録をつけている)。それでも、30代半ばに差し掛かり、40代が見えてきた今、これからの人生がこれまでのそれと事情が違うことは分かる。これからは結果と向き合わなければいけなくなるということにおいて。

今までは自分の人生の「過程」と向き合ってきた。
「過程」と向き合っていると、何もないところから作り上げていく中で自分の位置を見失ったりもして、それはそれで大変だったとは思う。しかし、これからは出てしまった「結果」を見つめなければいけない。「結果」は変えることができない。残酷な人生の始まりでもある。一生気付かずに夢の中にいたかったと思ったりもする。

だが、もう引き返すことはもうできない。流れ去った地下水がもう二度と湧いてこないように。同じ波が二度と寄せてこないように。それを名実ともに受け入れるのが40代なのだと思う。それならば、いろいろなものをのみこんで、素知らぬ顔で飄々と生きていけたらいい。終わりはいつか来るのだから。

それはきっと、そう遠くない先の話だ。


(・・・この文章は村上●樹作、海●のカフカの影響を強く受けて書かれました(笑)。)