「[JMM441Sa]「伊良部と朝青龍の悲劇」from 911/USAレポート」

異文化コミュニケーションについて。

JMM [Japan Mail Media] で、冷泉彰彦氏が「伊良部と朝青龍の悲劇」として、朝青龍関の問題について、かつて元ヤンキースの伊良部投手と比較しつつコミュニケーション上の問題点を指摘している。

伊良部投手がニューヨーク在籍時代、周囲とのコミュニケーションがうまくいかなかったことから「悪漢」のイメージを持たれて孤立していった経過を述べ、朝青龍関の一件との相似点について言及している。

日本語にいかに堪能でも、人生の危機において他の言語で自分の胸の内を語る事は難しかろう、とのこと。
それにつづく、以下の部分は個人的にも経験があり大変共感できた。
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 特に、日本語での会話を強いる中で、それが精神疾患の診察だというのは私には全く信じられません。その結果として「何も話してくれない」とか「話が途中で止まってしまう」という状況が起きて、それに対してもっともらしい診断が下るというのは、大変失礼ではありますが、まともな話ではないのではないでしょうか。その会談に際して、朝青龍関が不自然に黙り込んだり、話の脈絡が途切れたりするのであっても、それは、自分の気持ちを正直に表現できる日本語の言い方が見つからないというのが90%であって、残りはそのために疲れたということだと思います。
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冷泉氏によれば、他にも母国外で活躍する選手たちについても同様の事象が見られるとのこと。
言葉の違いで孤立していく選手達について、「優秀な通訳を間に入れて本人の思いをファンに取り持つことこそ、メディアの使命ではないでしょうか。」と述べている。

確かにそう言う側面はあるのだろう。
冷泉氏の体験が背景にあるのだろうか。力のこもった言葉だと思う。

わが国に暮らす異文化出身の人々は増えている。
この回は是非日本の医師やメディア関係者に読んでもらいたいと思う。