日本にとってのイスラーム

 日本がイスラーム世界を何時頃認識したのだろうか。
 同書によれば、比較的早い時期に認識する事は可能だったとされている。すなわち、中国などからもたらされる文物を通し、世界の概観を知る事が出来た。シルクロードを通じて奈良時代には既に文物が往来していた。「琵琶」「葡萄」はペルシャ語起源、戦国から江戸期に伝わったトタン、シロップもイスラーム地域発症のものである。新井白石が著書の中でイスラームについて触れているが、その著書の中から既に一神教としての理解があった。
 明治初期は被抑圧社会としてイスラーム社会に関心を持っていた日本政府は、日露戦勝後日本に関心を寄せたイスラーム勢力と手を結ぶのではなく、イスラーム勢力を支配する列強に関心を寄せ、韓国支配と重ね合わせた。ところが第二次大戦で旧列強を敵に回すと、イスラームと手を結ぼうと節操のない態度を取って失敗する。
 この考え方が正しいかどうかは判らないが、要はイスラームに関心などなかったのだろう。