つぶれたドライブインの駐車場で眠っていた私は、突然顔に熱い風が吹き付けられて目が覚めた。 一瞬の事で何が起きたかわからなかったが、私に向けてトラックがバックしてきている事に気が付いた。 慌てて転がってよける私。危うく雨上がりにアスファルトの上でせんべいみたいにつぶれている カエルみたいになるところだった。トラックの運転席に近づいて行き、抗議した。
 しかし、寝ぼけていたためかいまいち私の言葉に迫力がかけていたのであろう、トラックの運転手は嫌そうな声で 「そんなとこで寝てるやつが悪いんだろう。自転車で旅行?貧乏人のくせに偉そうに、だまれ!」と 抜かし、立ち小便をすると行ってしまった。まあ、面白おかしく貧乏ばなしを書いてはいるが所詮社会の 貧乏人を見る目なんて実際こんなものだ。
 いきなり暗い話で二日目は始まってしまった。しかし、時刻を見るとまだ夜の2時半だ。気を取り直して もう一度寝ようと、運転手が立ち小便をしたところとは反対側の駐車場の脇にねころがった。しかし 悪い事は続くものだ。寝転がってうつらうつらしながらしばらくすると、顔面に激痛が走った。慌てて手を 顔にやると、何かでかくてごつごつしたものが顔に付いている。巨大なできものができたのかと思ったが、 この「でかいもの」には、足が付いているらしい。無理矢理引き剥がすと、カブトムシのメスだった。 まあ、周囲は山と森なので、いてもおかしくないが、何も顔に取り付く事はないではないか。 頭に来たので明日の朝飯にしてやろうと思ったが、私がカブトムシの料理法を知らなかったので、このカブトムシは 命拾いをする事になった。運のいいやつめ。
 午前3時だというのに、目が覚めてしまった。仕方ないので出発する事にしたが、甲州街道はこの深夜でも 交通量が多い。こんな夜中に一体どこへ行くのだろう。私もその一人なので文句は言えないが。それどころか一層危険になっているようだ。というのは、警察の検問を避けた積載量をオーバーさせた トラックが制限時速の2倍位のスピードで走っているのだ。横幅の三倍くらいの高さに材木や鉄骨を山積み にした大型トラックが爆音を立てて暴走している。深夜の峠道はアナーキーな戦場なのだと初めて知った。 あんなトラックにひかれたら自転車はひとたまりも無い。知らない人も多いと思うが、車と自転車が 衝突した時、車のミラーがほんの少しかすっただけで自転車側が簡単に吹っ飛ばされる。こればかりは信じられない と思っても、自分で試さない方がいい。運が悪ければ一発で死んでしまうからだ。
 そんな訳で出発をためらわせる要素はふんだんにあった。しかし、昼間に比べれば交通量は少ないはずであり、 またいつまでもここにいる訳にも行かない。私は意を決して、トンネルに入る事にした。トンネルは数キロあるが、 一気に通り抜けてしまおうと思った。
 時刻は夜なので、周囲も暗かったがトンネルの中はいっそう暗いような気がした。車で走るとわからないが 閉塞感が思ったよりすごい。こんな所を工事して閉所恐怖症にならなかったのだろうかとおもう。また、換気のための ファンが回っているため、トンネル内は轟々と無気味な音が響き渡っている。同時に、後ろから近付いてくる 大型トラックが

「ギーン」

というすさまじい音で私を追ってくる。東京大空襲でB-29に追いまくられた人たちの 恐怖は、こんな感じだったのではあるまいか。背後から近づくトラックの轟音におびえながら、私は 夢中でペダルをこいだ。必死でこいだ。一刻もはやくここから出たかった。しかし、轟音は一気に私の背後に迫る。 耳をつんざくほどの爆音を立てながら、大型トラックが私を追い越しにかかった。私は必死で後ろに向けて 手を振りながら、自分の存在をドライバーにアピールした。同時に左側の壁にぴったりと寄り添いながら 走り、万が一ドライバーが私を見落としても何とかすり抜けられる様にした。そもそも車のドライバーは 自転車に気が付くのが遅い。自転車は運転手からは見えないのだ。また、自転車の存在そのものを 気にしていないドライバーも多い。そんな事を私は体で知っているだけに、恐怖はより一層大きかった。 トラックドライバーが私を見落とさない事を祈りながら、ひたすら走った。
 私がトンネルを出た時どうして生きて出られたのかはわからない位疲労 していた。トンネルを出た時、すぐに自転車を左脇に寄せて一息ついた。
 しかし、ずいぶん私も臆病になったものだ。高校の頃は、こわいものなど無かったはずなのに。 いつ死んでもおかしくないような事を平気でやってのけていた。あるいはこわいものを本当に知らなかった だけなのだろうか。
 どこかで一休みしたかったが、休憩できる場所が無い。フラフラだったがやむを得ず先へ進む事にした。
 道は甲府盆地に入った。先にも書いたが、しばらくは下りだ。もし、 前ギア無事なら憂さ晴らしにトップに入れて思いっきり飛ばすのだが、壊れてしまった事が残念でならない。 坂の斜面の角度といい、なだらかさといい、この下りは快適な事この上ない。後で降った分だけ登る事を別にすればだが。 まあ、そのことはとりあえず忘れておこう。  しばらく山道だったが、すぐに民家が見えてきた。上りと違って下りは速い。あっという間に 甲府の街の灯が見えてきた。(書くのが面倒になってきたから手抜きをしている訳じゃないぞ念のため) こういうときはあのセリフをいってみよう。

「翼よ、あれれが山梨の灯だ。」

ふん、決まったな。
(・・・何だか寒くなってきたので次に進む)

 午前4時前の甲府の街は静かだった。思ったとおりどこも店は閉まっていた。開いているのは数少ない コンビニとそっち方面のホテルだけだ。どこの街も同じだな。甲府盆地の底に差し掛かる。地図の等高線を 標高差が無いため平らな様にみえるが、それはあくまで地図上の話だ。市街地ともなれば、立体交差などが あり、アップダウンが案外あるものだ。。まあ、峠の上りほどではないが。ただ、相模湖での下りの辺りでタイヤから 空気が抜けてしまったため、操作性が落ちて上りがとてもきつい。このままの状態で長野県の上りがクリアできる とはとても思えないのでどこか自転車屋で空気を入れるポンプを借りたいところだが、こんな朝早くに やっている自転車屋は無いようだ。午前四時前に自転車屋に用のある人間は、あまりたくさんいないらしい。 (そんな奴いてたまるか)まあ、自転車屋さんには恩があるから文句は言いたくない。国道沿いだからいずれどこかにあるだろう。
 夜が白々と明けはじめた。少し朝焼けぎみなのが気になるが、この分なら今日中には着きそうだ。 既に総行程の3分の2を過ぎつつある。
甲府を抜け、左手の方に富士川の流れが見えてきた。
 この川が「釜無川」と名前を変える時、