「本と市民」

高校の友人から勧めを受けて読み始め、とうとう最後まで通読してしまった。

日野市図書館の前川元館長と図書館員たちが切り開いた「日本図書館の夜明け」の物語、と言ってしまったら言い過ぎだろうか。

図書館についての考え方がよくわかった一冊でもあったが、「行政職員あるある」と言う本でもあった。読みながら「そうだ、そうだ」と思わず立ち上がりそうになる場面がいくつもあった。

 

以下、断片的に印象に残ったところを列記する。

日野市は当初図書館建設の予算をつけなかったため、前川氏らはバスを1台調達し移動図書館として各地域に出向いていく形となった。

昭和30年代から40年代初頭、当時の図書館は「良書を市民に読ませる」読書指導がその役割だと考えられていたが、前川館長らはこれに同意しなかった。徹底して市民が読みたい本を用意し、ニーズに応えるようにした。結果市民と密接な関係を作り、時に良い本を教えてもらいながら一緒に成長していく、いわば無数の環のような物を作っていった。移動図書館と後にできる分館だけで市民にとってはなくてはならない日野市の行政サービスになる。大勢の住民、子どもたちがバスがくるのを心待ちにしている場面や、市民との生き生きしたやり取りの場面では「こんな仕事がしてみたい」と強く思った。

後に中央図書館の設計をした鬼頭氏の言葉によれば、周辺から中央へ、活動から施設への形を作ることに前川氏らは成功した。地方行政としてこれほど理想的な形はないと私は思う。

このような形でなければ施設は箱物で終わる。その悪い事例を平成の世に私たちは数多く見ることになる。なぜこの教訓が生きなかったのだろうか。同書が書かれたのは1988年。箱物が日本中にできるよりも前のことのはずだ。

あるリクエスト本を押し頂くように受け取る市民に、どんな気持ちで市民が本を求めているか前川氏が知る場面がある。こうした切実な場面に市町村職員はしばしば出会うが、その出会いで変われるかどうかはその職員次第だろう。

図書館の勉強スペースについて否定的な見解が常識であることを初めて私は知った。確かに図書館で勉強する時に私も本を借りない。場所の管理に司書の力を割くのは無駄であろう。場所は他の施設に作る方が理にかなっている。

図書館を他の機能とを合わせて複合館とすることに前川氏は反対した。私は複合的施設の方が良いと思っていたが、様々な機能がお互いを邪魔し合うと前川氏は考えた。確かに運用上はそうかもしれない。また、今のような時代では「共用できるだろう」という予算切り下げの口実を作ってしまう可能性も高い。

要所要所で前川氏を励ます人物が登場する。私は市民と格闘しながらお互いに成長できるような前川氏のような職員になりたいと思っていたが、最近はその人と話すだけで力が湧いてくるような、そんな人でありたいとも思うようになった。

文部省で政策策定に関わった際に、図書の標準的基準を設けるとそれが上限になってしまうことを前川氏が憂慮していた。国レベルになると得体の知れない力が働くこともよくわかった。

図書館長の後、日野市の助役となった前川氏は市民と行政の環のようなものを作ろうとしたが、うまくいかなかったと述べている。図書館長だった時は自らが接点になって環を作ることができただろう。市町村職員の面白さは、そこにこそあると私は思う。

政策は無数の市民と現場の職員のやり取りや格闘の結果生まれていくものであり、格闘のできる現場を育てなければならないと述べている。

 

 

本の帯には「本と市民」。この一言を見た瞬間、とても惹きつけられるものがあった。

筑摩書房から出版されていたものを夏葉社により復刊したものである。

 

 

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