自助の国

 記事は2006年に起きた介護心中事件と、先般の自民党総裁選の菅氏による「自助、共助、公助」の取り違え発言を取り上げ、「人さまに迷惑をかけない」という呪縛に囚われ続ける私たちの意識に警告を発するような形となっている。

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 菅氏が繰り返した「まずは自分のできることを自分でやり、無理な場合は家族や地域で支え合い、それでもダメな場合は国が守る」という考え方は、前世紀の子どもの数が親の数より多かった時代の社会構造を前提に、70年代に家族介護モデルとしてまとめられた考え方である。
 この数年政府が提唱する現実と乖離した「地域介護」モデルを、さらに一歩進めて菅氏は「自分でなんとかしろ」と言っているのだ。地方にはもう高齢者しかいない現実を見て見ぬ振りをし、自治体同士で叩き合いをさせるための「ふるさと納税」制度を作った氏ならではの考え方だ。

 まだ人口が増えるかのように見せかけて自治体同士の叩き合いを煽り続けている。構造的に、条件的に勝ち組になれない自治体には「努力が足りない」というレッテルを貼って冷笑するための制度がすでにいくつも施行されている。

 

 もっとも悲惨なのは、そうした制度を多くの国民が支持しているということだ。
 私たちの「他人に迷惑をかけるな」という偏狭な考え方が政府を支持している。

 いまだに自己責任論者は多い。
 ひとり親が追い詰められる事件が発生するたびに、SNSには「シングルマザーは自己責任だから、そんなに支援しなくても良い」という書き込みがあふれる。記事中にある通り、シングルマザーの就業率は先進国で1位であるにも関わらず、貧困率は高止まりしたままである。
 「保育園落ちた、日本死ね」と書き込んだ人に浴びせられた言葉は、賛同の言葉だけではなかった。子育て世代にとって死活問題であるにも関わらず、言葉遣いや発言者の思想信条に中傷を浴びせ、問題解決の足を引っ張る無数の人々。

 生活保護の相談を受け付けるはずの役所が引き起こした小田原市ジャンパー事件。小田原市職員自体は真摯な反省をしているようだが、ジャンパーに賛辞が集まったことを私は忘れていない。
 「健康の維持は自己責任」と言い放った首長もいる。経済状態や生活環境がその人の健康を大きく左右される。自らの足元の問題に取り組まない姿勢を崩さないその人物をその自治体の有権者は選挙で選んだのだ。

 

こうした記事が書かれるたびに、自己責任論者たちは現実から目を背け、罠に落ちた人を冷笑し自己責任であると決めつける。

 

筆者は最後にこう書いている。

 

「結果の平等」を追求するような政策は、「堕落の構造」を生むと反論する人たちがいるが、堕落とは何なのか?

 現実から目を背ける自己責任論者が社会の主導権を握りつつある。

社会はますます閉塞し、ますます多くの人が現実を見ようとしなくなるのではないか。

 

その先に一体何があるのだろう。

 

なお、私の住む下諏訪町はその成立経過を原因として、圏内でも貧困率が高く、高齢化率も高い。

そうでない自治体に住んでいる人の目には、別のものが見えるのだろうか。