過日参加した下諏訪町避難所運営訓練についてをまとめておく。下記は報告書として下諏訪町第10区の自主防災会にの一部組織である、防災士の会に提出したものである。
日時 平成31年2月9日(土)~10(日)
場所 町文化センター・矢木町公会所・高木公民館
主催 下諏訪町(共催:防災ネットワーク)
1.座学(2月9日午前中) (町文化センター)
(中学生(ジュニア防災リーダー)は別室で研修をしていた(内容不明))
(1)講師 (株)CoAct 渡嘉敷唯之 氏(介護福祉士・主任介護支援専門員)
<概要>
・過去の災害時の避難所状況についての講義。
・避難所には「大量収容期」「長期滞留期」の2つがある。
・災害関連死は半年がハイリスク
・在宅避難者は様々な困難を抱えている
<詳細>
①大量収容期・約2週間>
非常に多くの避難者が押し寄せ、運営が確立せず最も混乱する。外部支援も届かない
「情報を求めて」「不安だから」「ライフラインが停止した」「家屋が損壊した」「浸水した」
②長期滞留期 2週間後>
・1週間が過ぎると人数が減少していく
・避難所の生活は厳しいため、余力のある人から他へ移動する
・大幅に減少した後、行き場のない人、生活力のない人の長期滞留期が始まる
※東日本・・・発災9か月半で長期に移行(福島は2年9か月)
・「退去予定がない」8割超
・「一時的住居希望」仮設住宅建設不可避
・単身または2人世帯が半数を占め、単身世帯の4割が「移動手段なし」と回答
→避難世帯に占める単身、非就労、高齢世帯割合が増加
④災害関連死
・東日本では震災関連死は1か月~3か月がピーク 半年間が特にリスクが高い
・関連死の80%が70歳以上
→発災から半年の「避難生活力」を身につける必要がある
⑤在宅被災者
・避難所には以内が避難生活を送っている人の多さ
・避難所に入所できない理由
障がい者が家族にいる/小さな子がいる/音に敏感で大人数の避難所で眠れない
農家で耕作地から離れられない(農地、家畜)/室内飼いのペットがいる など
・調査対象1243世帯中、応急危険度判定で要注意以上が54%
・二次災害リスクがある場所での避難
⑥避難所
・支援対象は避難所、近隣住民を含む(災害救助法の規定)
・運営者は住民自治で行政は支援が基本。行政職員も被災者である
・高齢化で支援が必要な側の方が増加している。要配慮者自らが支援する共助体制を
・避難所の目的は長期にわたる人的被害拡大を防ぐ
・役割は多様な避難者を収容し、在宅避難者を含む全体に物資や人材を供給
・避難生活で被害を拡大しないことが重要
日ごろから地域の状況をよく理解する
災害時を予測し、必要な備品と人材を予測する
不足する人材と物資の調達方法を検討しておく
(2)講師 ダイバーシティ研究所 田村太郎氏
<概要>
・過去のデータを元に、配慮が必要な方の状況や災害関連死の発生する原因、避難所運営の問題を説明。
・「避難所」ではなく「被災者支援拠点」という概念を。長期滞在に備える必要がある
・高齢化や人口減少により災害への対応力は急減しており、これまでの常識は通用しない。
<内容>
・大阪北部地震と台風21号被害を被災した。どちらも直後に西日本水害、北海道震災が起き、全国の注目から外れ支援がなかなか来なかった。北海道が通電した時には、まだ電気が来ていない状態だった。
①地域の災害対応力の縮減
・阪神時と比較すると地方公務員、消防団員は8割、75歳以上人口は2倍以上
②被災者支援拠点
建築基準法改正などが功奏し、近年は災害後も家屋自体が残るため在宅避難者が増える傾向にある。昨今は車中泊、テント泊、自宅庭先避難者の方も多い。
・訓練が避難するまでで終わる避難訓練が日本では一般的(2~3日滞在の水害モデル)
・避難者が長期間滞在する前提になっていない
・指定避難所に避難するのは避難者の6割
・避難所利用者は就労者が少なく、2人未満世帯が多い
・大規模災害時は指定避難所と指定外の比は6:4
③災害関連死
・熊本では直接死50人、関連死181人
・神戸での関連死の24%が肺炎。35%が心不全、心筋梗塞等の血管疾患
肺炎はトイレ数不足や不衛生から水分摂取を控えたことによる
・東日本は1500人が関連死。半数以上が避難中、避難所での死者
・「避難所肺炎」「エコノミークラス症候群」は防げたはずの死だった
・人の多様性への配慮が足りず、相対的弱者が犠牲に
④近年災害対応の状況
<ボランティア>
・阪神淡路の時に比べ、現在の学生はアルバイト代を生活費に費やしている
・長期ボランティアはアルバイトを休まなければならず、災害ボランティアは現在の学生には非常にハードルが高い。
・シニアボランティアが多い。
・社会の高齢化を反映し、ボランティアより物資支援が多く届く。仕分けするボランティアの不足で大半を廃棄することも。ex.おにぎりと手紙
<復旧期の長期化>
・建設業従事者は阪神時の7割。建設投資はピーク時の半分
⑤その他
・非常用持ち出し品の中に「ラジオ」「ライト」が定番だったが、スマホで代用できる。替わりに充電バッテリーが必須に。
・熊本、西日本豪雨、胆振地震の教訓から、避難所として体育館は居住環境が悪く、公民館などの小規模施設がよいことがわかった。
・炊き出しを「原則行わない」とする避難所が見られる。食中毒予防のためである。(現実的か?)
・仮設トイレには和式が多かったが、洋式、水を汲んでこなくてもよいタイプが増えた。
・高齢化率50%でも最初の1週間を乗り切れる避難所を
体力のある支援者がいなくても分配できる救援物資・備蓄方法の工夫
避難所のユニバーサル化は必須
・必要なのは個人情報ではなく要配慮者が必要としているニーズ情報
・支援人材の育成による広域連携の必要
2.避難所運営訓練(9日午後) 公民館へ移動後ロールプレイ
・暖房、電気、水道等のインフラがない状態で実施
・ロールプレイ形式を取ったのは、予定調和にならないようにするため。
主な役:5区自主防災会役員、腎疾患、肝疾患、高齢者、福祉系専門学校生、帰省中の大学生、役場職員、ペット連れ避難者、乳児、旅行中の外国人(英語のみ)、看護師、認知症高齢者、旅行者(トラブルメーカー)、車内避難者 等 1日目のみ中学生参加
(記録は高木公民館・水澤視点のみ。水澤は帰省中の大学生役。母親が行方不明。)
会場の高木公民館
(1)1日目
・「役場職員」により公民館解錠、避難者が公民館へ。2Fに広い部屋があるので上がるよう職員役が指示したため、全員一斉に入る。
・職員役は受付を作ろうとしたが、筆記用具がすぐに見あたらず、人数の把握に時間がかかる。その間に場所取りなどのために避難者公民館内にバラバラに散ってしまい、一人一人名前を聞いて回ることになった。
・トラブルメーカー役が公民館備蓄物資を収奪をはじめる。備蓄品は避難者の一部にしかわたらない。備蓄毛布が数枚あったため、乳幼児と高齢者に優先して配ろうとしたところ、トラブルメーカー役が力ずくで奪っていった。
・役場職員役の機転で中学生を物資管理担当にしたが、トラブルメーカー役が中学生相手に物資を出すよう怒鳴り声を上げて要求。担当の中学生が毅然と断るなどがあったが、この経過によって役場職員が避難所の事実上のリーダーになってしまった。以後、前回訓練時同様の「行政vs避難者」という構図ができてしまい、2日目の朝まで続いてしまう。
・日が落ちて寒くなり、毛布の不足から乳児にかける毛布もなく、高齢者が体調を崩す。役場からの到着見通しがつかないことからトラブルメーカーが騒ぎ始める。職員役が人数分の毛布、食糧を要請する。
・入退所の受付係に下肢不自由役の方をお願いしたが、それまでその方を1階に
・夜9時近くなり役場からの物資が到着。要請していた毛布の数が足りないにもかかわらず、横柄に玄関先に置いていった。職員役は抗議すべきだったがトラブルメーカーと避難所運営に手を取られ、事情の説明を受けられない。結果、トラブルメーカー役が怒り出す。
・5区赤十字奉仕団役員により備蓄品の炊き出しが始まる。職員役と大学生役が協力し、トラブルメーカー役と外国人役を炊き出しへ。手元が暗く作業が困難。
・外国人役がアメリカ人で旅行中に被災したことが分かる。英語通訳がいないことから大学生役が通訳として要望を聞く。「パスポートを無くしたため警察へ行きたい」という要望だったが、地震規模が非常に大きいこと、警察が機能していないことを説明し、当面の目標として「大使館と連絡をとること」と「東京等空港のある地域への避難」を提案し了解を得る。
・トラブルメーカー役が怒鳴り声を上げることから外国人役が不安を感じないよう、何を話しているかを随時通訳した。また、会議の内容、決めたことの内容も随時通訳。
・炊き出しの食糧を配った後に車中避難者が食糧の要請にやってくる。物資がなくトラブルとなる。配る前に周辺の状況を把握する必要があった。また、次の食糧配給の見通しが立つまでは、全部を一度に調理しない方がよいかと思われる。
(2)2日目午前中 1週間後の設定
・矢木町公会所避難所避難者が突然高木公民館へやってくる。町の方針により統合することとなったが、すでに各自の生活空間ができていたところを移動させることになり、トラブルとなる。
・避難生活の長期化によりニーズが多様化したが、それに応ずるためのスタッフ人数は同じであるため、対応がほとんどできなかった。
・1日目のルールが書き出されていなかったことから、矢木町ルールとの相違点が不明確となった。矢木町側のリーダーとの話し合いが必要だったが、情報交換をしている間にもトラブルが頻発していた。
・5区公民館のリーダーであった役場職員役が倒れ、5区区長を高齢者役が補佐する形で、運営体制が引き継がれる。
・1Fを本部としたことから、1Fの情報が2Fの居住スペースに伝わらない構造が問題となり、2Fでトラブルが頻発。本部に出入りしている人に1Fの情報を随時2Fのホワイトボードに書き出すよう依頼するが、誰も実行しなかった。定期的に情報が更新されることの重要性が伝わっていなかったと考えられる。
・2F避難所内で、全員での話し合いが持たれ、ルールが作られた。食事や起床消灯の時間、マスコミの対応について取り決めが作られた。
・全員での会議では発言できない人の意見や言い出しにくい要望を把握するため、ボードに書き出していただくようなしくみを作ったが、匿名で投書できる形にした方がよかった。
・儀象堂が外国人の受入れ拠点になっていることが判明。外国人役に提案するが、同時に鉄道復旧の情報が入ったため、東京への移動を提案。伊那、富山方面へそれぞれ帰ろうとする方がいたため、車を持っている方に駅まで送っていただくこととする。
・外国人役が所持している日本円現金が残り少ないことがわかる。銀行の開店の情報があったため、両替ができることを確認し、駅へ行く前に銀行へ寄るよう運転手に依頼。
・通訳に不安があったことから、駅までの同行を申し出る。水澤が担っていた役割を地元の方に預けるよう交渉。了承を得、無事駅に送ることに成功した。
・無事駅へ送ることに成功。反省点としては男性である私が女性である外国人役とマンツーマンになってしまうことで、女性が言い出しにくい問題を拾うことができなかった。女性に替わりについてもらおうとしたが、外国人役の方の支援の引き受け手はあまりないと思われる。
・なお、実際に外国人の方が私のいる避難所に避難してきた場合は、国際交流協会の役員の皆さんや外国籍住民の友人たちに即座に連絡をとり、母国語で避難生活ができる環境を用意はできると思う。日ごろからみなさんにお願いしておくことにする。
・全般的に人手が足りない。振り返りの会では「~すればよかった」という意見ばかりが目立ったが、「それをできるようにするにはどのようにすべきか」という意見が出なかった。
・運営側の人手を確保するための工夫として、「誰が何の役割をやっているか」ということを一覧にして掲示するなどすれば役割を交替しやすいという意見が出た。
・「私は何ができます」というボードをつくり、新しいニーズに応える人材を発掘することができたのではないか、という意見が出た。
・全般として女性の参加が少なく、実際の避難所運営に不安を残した。
以上